第四四七話 乱れ髪(一〇)
土産話の披露が済んでからも、孝子は舞姫館に居座った。目当ては練習の後に実施される歌舞のレッスンだ。信之と舞姫たちの奮闘ぶりを見物するのである。
午後七時に練習が終わった。間断なくレッスンが始まる。本番でも、試合終了と同時に歌舞は始まる。それを擬しているわけだった。
孝子は体育館の隅に陣取った。舞姫たちは、歌を信之の指導、舞を美鈴のレッスンにも使った大型モニターを参照しつつ、歌舞を行っている。出来栄えは、一言で評すれば、いまひとつ、だった。信之が目を配っている歌は、まだよかった。問題は舞である。舞姫館の開館した初日にはレッスンを始めたと聞いた。二週間余りたつのに、美鈴以外は見事なへっぴり腰ぞろいではないか。舞姫に合流したての祥子と日の浅いまどかには、情状酌量の余地を認めるとしても、他のつたなさときたら、どうだ。
「何をやっていた」
と言いたくなるところだが、まあ、よい。ロケッツのチアとやらが合流したときこそ本番、と剣崎は考えているようだ。舞台演出の主体は彼である。孝子の口を挟むべきことではない。
「どう? みんな、結構、うまいでしょ?」
みさとの声に、孝子は鼻で笑っていた。
「あれ。お気に召さず?」
「開幕までに間に合えばいいんだし、今はこれでいいんじゃない?」
「とげがあるなあ」
二人が言い合っていると、信之のそばにあって、レッスンの補助をしていた尋道が、すっくと立ち上がるや、体育館を飛び出していった。
「お。どうした」
やがて、戻ってきた尋道は、剣崎龍雅と共に体育館に入ってきた。
「やあ。こんばんは。やってるね」
彼の存在に気付いた信之、舞姫たちに会釈しながら、音楽家は孝子たちに近づいてきた。
「お忙しいんじゃ?」
「ええ。ですが、ケイティーが帰ってきた、と聞いてね。あいさつがてら、こちらへの表敬訪問もしておこうかな、と」
「来るなら、事前に言っておいてくれないと。え?」
じろりと麻弥を見た。音楽家の彼女は小さく首を横に振った。
「私も知らなかった」
「ああ。麻弥ちゃんには言ってないよ。行けたら行くかも、で郷本君にしか」
「お前、言えよ」
「最初に連絡を受けた感じでは、来られそうになかったんですよ。下手にお伝えして、待たせた揚げ句、お見えにならなかったら、最悪でしょう。では、剣崎さん。僕は、あちらに戻りますので」
「ありがとう。なんとか、うまく回ってくれて、時間ができたんだ。どう。ケイティー。現時点での歌舞は? いけそう?」
「どうでしょうね。始めたばかりだし、こんなものじゃないですか」
ふむ、とうなずいた剣崎は、押し黙ってレッスンを注視する。
「……確かに、こんなもの、だね」
「剣崎さん。この子も、あまりお気に召してなかったみたいですけど、どのあたりがよくないんです?」
「別に、悪い、とは言ってないよ。完全に想定の範囲内の進捗状況で、こんなもの、としか言いようがないだけさ」
ぴしゃりと返されて、みさとは沈黙する。
「チア待ちだね」
「ええ。ところで、剣崎さん。がらっと話を変えちゃいますけど、例のコンペの曲、ようやくできたんですよ。まだ間に合いますか?」
舞姫の舞台演出で使用する楽曲のコンペティションに勧誘されていた孝子だ。福岡で購入したシンセサイザーを用いて、二曲を完成させていた。
「もちろん。多いほどいい。スコアは?」
「レッスンでお借りしたハンディーのシンセサイザーがあったじゃないですか。あれ、福岡で私も買ったんですよ。あの中に」
「おう。そいつは、好都合。専用のアプリがあって、データの連携ができるんだよ。それを使って持ち帰らせてもらおう。シンセは、海の見える丘?」
孝子はにたりと笑った。
「そのまま持ち帰ってきました。ここにあります」
「拝聴。どこに?」
言うなり、剣崎は動きだしている。
「オフィスです」
孝子が先頭に立ち、剣崎、麻弥、みさとと続いた。カラーズ島にたどり着くと、キャリングバッグから取り出したシンセサイザーをワークデスクの上に置く。
同じく、取り出したヘッドホンを剣崎に手渡したところで、抗議の声が上がった。
「えー。そんなの使われたら、私たちが聴けないじゃんか」
「君たちが聴く必要は、ない」
「聴かせてくれたって、いいだろ」
「嫌なこった。未完成なんだよ。そんなの聴かれるわけにはいかないの」
「静かに!」
そして、聞き入る音楽家の周囲では、三人娘による潤いに欠けた視線のやりとりが勃発するのであった。




