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未知標  作者: 一族
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第四三話 五月晴(八)

 正村麻弥に対する神宮寺孝子の考察は、完全に当たっていた。麻弥は年上に焦がれる性質だ。めったに見ることはないが、ドラマや映画で麻弥が追うのは、若手の人気俳優ではなくベテラン俳優の姿である。同年代や年下には、全く食指が動かない。いいな、と感じた俳優が意外に若いことを知って、途端に冷めた経験もある。

 そんな麻弥にとって、剣崎龍雅の出現は青天のへきれきであった。これまでの主立った憧憬の対象である神宮寺隆行や中学時代の担任には沸かなかった熱情に、麻弥はくらくらとさせられる。貴公子然として、流麗な線で描かれたかつての思い人たちとは、全く方向性の異なった、太く強い線を浮かべるとき、自分はこういう人が本当の好みだったのだ、と新鮮な驚きに包まれるのだ。

 だが、麻弥にとって剣崎は、今のところ、親友を介しての存在でしかない。しかも、その親友は剣崎に、ふつふつと敵意をたぎらせつつある。

 発端は、電子オルガンの修理が完了した後の一幕だ。孝子が試しに演奏したのはケイト・アンダーソンの曲だった。孝子が夭折の米国人歌手を敬慕していることは麻弥も知っていた。

「ケイトか」

「はい。好きなんです」

「いいね」

 孝子が電子オルガンの椅子を立つと、剣崎が続いて椅子に座った。

「聴かせてくれる?」

「え……?」

 孝子が伴奏だけを弾いたことで、弾き語りをする、と読んだ剣崎の指摘だった。

「電子オルガンでメロディーを省く人って、あまりいないでしょう」

 明らかに孝子は、しまった、という顔をしていた。剣崎の言うとおり、孝子の演奏は原曲がインストゥルメンタルである場合を除いて、メロディー部分は省くことが多い。メロディーは孝子の声の担当なのだ。

 さて。こういう場合、孝子は素直に歌うような人柄ではない。麻弥は内心でひやひやしていたのだが、剣崎の演奏に合わせて、意外にも孝子は歌ったのだ。

「自分で言うことでもないけど、まあまあ、うまいつもりだったんだよ。でも、さすがにプロだった。全然、腕が違って。思わず歌ってた」

 孝子が麻弥に語った、その時の真実である。

 二人の協演は、素人の麻弥でも容易に理解できる見事さだった。

「やっているのはケイトのコピーだけ? 曲を作ったりとかは?」

「習作程度には」

 短期的には、余計なことを言った、長期的には、悪くはなかった、と孝子が後に述懐した言葉だった。

「聴かせてほしい」

「お断りします。人の耳に入れていい水準に達していません」

 ここでは剣崎はあっさりと引いたので、話題は次に移った。孝子が修理の費用について問うたのだ。

「必要ないけど、じゃあ、神宮寺さんの自作曲を聴かせてくれないかな」

 なぜか、剣崎は孝子の自作曲に拘泥する。

「お断りします。金額をおっしゃってください」

 孝子は突っぱねた。部品については中古だし、イレギュラーな手法で得たものなので勘弁してほしい。工賃には規定があるので、調べて郵送する、というのが、その時の剣崎の返答だった。

 日曜、翌日はさすがに無理だろう。

 月曜、週明けすぐには難しいだろう。

 火曜、もしかしたら……。まだ早いか。

 水曜、そろそろ届いてもいいのではないか。

 木曜、遅い。

 とうとう孝子は怒りだした。先方にも都合が、と言ってみても、規定があるならすぐにわかるでしょう、とほえる。

「もしかして、お姉さんって、気が短いですか?」

「もしかしなくても、短いよ」

 こっそり尋ねてきた春菜に、麻弥はそう言った。

 そして、土曜だ。一週間は、孝子にしては、待った、ほうだろう。

「麻弥ちゃん、ちょっと出てくる」

「どこに……?」

「剣崎さんの所」

「まずは電話して」

「一度した。斯波さんにもお願いした。もう待たない」

 断定的な口調に、麻弥は、私も一緒に行くよ、と言うしかなかった。剣崎に会える、という喜びよりも、孝子をどうするか、ということで頭がいっぱいとなって、思わずため息だった。すわ、一大事、と春菜も外出の準備に取り掛かっている。

 外では朝からの小雨模様がついに崩れ、大粒の雨の降下が始まっていた。予報では数日続くという。七月に入って、この梅雨シーズン、ようやくのまとまった雨、ということになりそうだ。

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