第四三七話 アフタートーン(二〇)
「えーっ。あんなひどいこと言われたのに、静お姉ちゃん、ばかじゃないの!」
静とまどかが連れ立って尋道を訪ね、祥子の救援を求めた件に対する、容赦ない所見だ。
「はあ!? 那美には関係ないでしょ!」
「那美。さっきの話、聞いてなかったの? 断りなくしゃべらないで」
「私はオーケーしてないもん」
神宮寺家にもうるさ型がいた。先が思いやられる、と尋道が瞑目した直後だ。膝の上のロンドが猛然とうなりだした。
姉妹、親子の言い争いどころか、LDKの全ての音が消失した。
「どうしたの、わんわん」
那美が近づいてくると、うなりの声量も上がる。尋道は、はたと浮かんだ考えをつぶやいてみた。
「早く神宮寺さんの話が聞きたいのかな」
反転したロンドが肉薄してきた。猛然と尋道に頬擦りをしてくる。
「そうみたいですね。では、こうしよう。ロン君。君に話しますよ」
名コンビの誕生であった。尋道はロンドに語り掛ける体でもって状況を語り、ロンドは横やりが入るたびに、その相手を威嚇して黙らせる。以心伝心の快進撃だ。
「ロン君。賢いね。名犬ですよ」
望外の短時間で説明を完了させた尋道は、膝の上の相棒を称賛した。その相棒は、何やらしきりに尋道のジャケットを鼻先でつついている。察した尋道は懐のポケットからスマートフォンを取り出した。案の定、写真が届いていた。今回は四ノ原の文字をバックに、孝子は真顔にピースサインで写っている。
「どうぞ」
待ち望んでいるロンドにスマートフォンを渡すと、抱え込んで頬擦りを始める。
「わんわん、何してるの?」
ソファの隣に那美がやってきた。
「神宮寺さんが写真を送ってくれたんですよ」
「え! 見せて!」
那美はロンドの抱えるスマートフォンに手を伸ばした。返ってきたのはうなり声だった。
「ああ。やめたほうがいい。……ロン君の神宮寺さんに対する忠誠心を、甘く考えないほうがよさそうですね。下手をするとかみつかれかねません。四ノ原、ってところに着いた連絡でしたよ」
「四ノ原は、静岡か」
みさとのつぶやきに尋道はうなずいた。
「ええ。そこの、サービスエリアか、パーキングエリアでしょう」
「写真って、どんな?」
「高速の建物って、そこの名前が書いてあるじゃないですか。それを背にした自撮りです。長い距離なので、どのあたりか、だけでも教えてほしい、と頼んでたんですよ。冨士埜に次いで二枚目」
恨めしげにロンドを見やっていた那美が顔を上げた。
「郷本さんって、なんで、そんなにケイちゃんと仲よしなの? 今日だってケイちゃん、郷本さんにだけ会ってるし。付き合ってるの?」
「付き合っていません。比較的、段取りを付けるのが得意なほうなので、重宝されているだけです」
「麻弥さんや斎藤さんよりも?」
「部外者を相手に同僚の人事考課をするつもりはありません」
薄気味悪い笑い声はみさとだった。
「そこまで。那美ちゃーんごときでは、郷さんには勝てぬ」
「斎藤さんが勝って」
「無理じゃ。前に正村もろとも粉砕された。ほい。この話は、ここまで。ねえ、郷さん。あの子、今日はどのあたりまで走るって?」
「聞いてませんが、昨日の今日ですし、早めに休まれるんじゃないですか」
「郷本。さっき言ってたSO101の荷物、私が回収しておこうか?」
麻弥である。独演会の雰囲気が薄まったのを見計らって、会話に参加してきたのだ。尋道は、孝子が軽バンで舞浜まで疾駆してきた事情、および運んできた荷物をSO101に運び込んだ事情も披露していた。
「ぜひ、お願いします」
「しかし、あいつも、そこまで焦って戻らなくてもよかっただろうに」
「まあ、そう言わないで」
「でも、危ないだろ。ほとんど休まずなんて。お前も、止めろよ」
「ご自分ができないことを、人に要求するのは、やめていただけますか」
あえて昂然と、尋道は言い放った。
「え?」
「僕たちだけではありません。おそらく、この場にいる全員に、その資格はないでしょう。あのとき、神宮寺さんを止められたのは、既にご両親を亡くし、古里を離れた人だけでした」
せりふの効果はてきめんであった。麻弥のみならず、「新家」のLDKに集った人々は、一気に固形化した。
「同情の必要な方とは思いませんが、配慮はするべきかと。福岡という、あの人の聖域に、むやみに立ち入ってはいけません」
ややきつい言い回しとなったが、これで、孝子の福岡行について、とやかく言う者は皆無となろう。同様に、尋道がつるし上げを食らう危険性も、皆無となった。一件落着といえた。
尋道の膝の上では、いつの間にかロンドが眠りに落ちていた。その前足に、孝子の写真が表示されたスマートフォンを、しっかと抱えて。




