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未知標  作者: 一族
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第四三五話 アフタートーン(一八)

 いつ以来か、記憶をたどってみようと考えて、やめた。車が新舞浜駅のマンションゾーン専用地下駐車場に入ったときである。とにかく、久しぶりの黒須宅に赴く。これだけでいい。

 尋道が地下駐車場ロビーの集合玄関機を操作した。

「はい」

 こちらも久しぶりだった。応答した声は懐かしい、黒須夫人の清香のものである。

「奥さま。郷本です。ただいま到着しました」

「うん。孝子ちゃんは?」

「いません」

「いるじゃない! 今、開けるね!」

 解錠を待って、孝子と尋道はエレベーターホールに入った。黒須宅はマンションゾーン最上階の六四階にある。初回の訪問時も、こんなふうだったと記憶がよみがえってきた。黒須夫妻が玄関先で並んで待っている。相変わらず、すっきりとした容姿の夫人とむくつけき大男との組み合わせを内心では、美女と野獣、などと評しながら孝子は会釈を施した。

「お二人とも、ご無沙汰しておりました」

「孝子ちゃん! 本当に、よく来てくれたね! 私、もう会えないのかな、って諦めかけていたよ!」

 満面に喜色を浮かべて清香が駆けてくる。もとより反りが合わなかった相手でもあり、古里をこけにした失言を契機に、黒須との交際を断った孝子なのだ。夫を介した付き合いに過ぎなかった以上、彼女とも疎遠になったのは道理といえた。

「私は悪くありません」

 孝子は押し返すように一歩を進み出た。強気の振る舞いを目の当たりにして、清香は顔をくしゃくしゃにして笑う。若いころは気が勝った人だったという彼女には、同系統の孝子を殊の外に気に入っている様子がある。かつて、自分のせいで、と語った授からずじまいの子に、孝子を重ねているためらしいが。

「ああ。本当に、そのとおりだ。過日は申し訳なかった」

 のっそりと黒須がやってきた。面倒な相手を、いかにあしらうか。思案のしどころといえた。面談を希望しておいて、悪口雑言を並べ立てるのも、大人げない。努めて冷静に振る舞うのが吉だろう。

「次はありませんよ、と言っても、多分、次もありますよね。なまじ偉いだけに、ごく自然に他を見下しているんでしょう。で、なまじ偉いだけに、誰も怒れなくて、ずっと改まらないんですよ」

 視界の端に、目を見開いた尋道が見えた。

「私はあなたの部下ではありませんので、はっきり言わせていただきましたけど」

「肝に銘じよう」

「吐いた唾はのめませんよ」

「これ以上の丁々発止は心臓に悪いので、一つ、話題と場所を変えませんか」

 見かねたか、尋道が割って入ってきた。

「郷本君よ。こういうのは丁々発止とは言わない。俺が一方的に打ち込まれているだけだ」

 黒須は苦笑いしている。その後、尋道の仲介が通って、場は黒須宅のリビングに移ることとなった。

 リビングでは中村が待っていた。座っていたソファを立ち上がり、孝子を迎える。

「やあ。お帰りなさい。おはこの早業ですな」

 孝子はうなずいた。事前に尋道があらましを伝達してくれていたので、ここからは速い。祥子の舞姫加入、門津造船所で孝子が受けた歓待の報告など、あっさりと片付いていって、

「これぐらい、ですか。では、神宮寺さん。そろそろおいとましましょう」

 締めの尋道であった。

「え? もう帰っちゃうの?」

 清香が驚きの声を上げた。

「静さんのため、神宮寺さん、間断なく動かれましたので。むちゃをしがちな社長に、無理やりでも休息を取っていただくのも、部下の務めでしょう。あしからずご了承ください。さあ」

 有無を言わさぬ調子に気おされたような形で、孝子は黒須宅を後にした。

「随分と急いだね。私としてはありがたいんだけど」

 エレベーターに乗り込んだところで、孝子は尋道に声を掛けた。

「もうこちらに用はないでしょう。仏頂面をされて、ぶち壊しになる前に、速やかに撤収しないと、と思いましてね」

「ひどい言われよう」

「違うんですか?」

「違いませーん」

 実際、尋道の言うとおりだった。長引いて歓談にでも移行していたら、と思うと、ぞっとする。間違いなく孝子は不機嫌になって、率直な内心を表面にさらしていただろう。

 機転に感謝の手を合わせ終われば、切り替えて福岡行に思いをはせる。残る期間を、悔いのないよう遊びほうけよう、と決意を固める孝子なのである。

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