第四三四話 アフタートーン(一七)
尋道が探し出してくれたホテルは、新舞浜の臨海部に建つ新舞浜ベイホテルだ。れんが造りの外壁が目を引く二〇階建ては、新舞浜の中心部に程近い立地を誇り、高層階の一室から見渡せば、海を臨む景観が素晴らしかった。
「もっと安そうなところにしろ」
と思わなくもない孝子だったが、遠慮なく利用することこそ、せっかくの厚意に報いる道であろう。堪能しようではないか。
一風呂浴び、ベッドでごろごろとくつろいでいるうちに時間は過ぎ、待ち合わせの午後二時が迫る。折しも、一階ラウンジに到着した、そろそろ準備を、と尋道のメッセージが届いた。身支度を整えた孝子は一階に向かった。
「お待たせ」
ラウンジのテーブルでカップに口を付けている尋道を発見し、孝子は、その差し向かいにどっかと腰を下ろした。
「ありがとう。リフレッシュできた」
「どういたしまして」
「海側の部屋でね。すごく眺めがよかったよ。千葉が見えた。お返しは、覚悟しておいて。あ。私も彼と同じものを」
寄ってきたラウンジのスタッフに孝子は注文した。
「期待させていただきます」
「私が部屋にいる間、どこにいたの?」
その辺で、ぶらぶらして時間をつぶす、と言っていた尋道に孝子は問うてみた。
「図書館に行ってました」
「近くにあるの?」
「ええ。駅ビルの中にあります。ただで時間をつぶせて助かりましたよ」
「郷本君も部屋を取ればよかったのに」
ご冗談を、と尋道は鼻を鳴らしている。
「僕は昨日もきちんと入浴して、匂いませんので」
「何を言ってるの、この男は。私だって匂わないよ。無礼者。ばーか」
視線が合って、同時に失笑であった。実にたわいない。
「すぐに出る?」
「いえ。近所ですし、半ぐらいでいいでしょう」
黒須宅は、新舞浜駅ターミナルビルの上層階、マンションゾーンにある。新舞浜ベイホテルと新舞浜駅ターミナルビル間は、徒歩でも一〇分程度、という。車を使えば、さらに短縮される。午後二時半の出発は、ころ合いといえただろう。
「なら、話がある。寝っ転がってるときに、思い出した」
「はい」
飲み物が運ばれてきた。受け取ったレモンティーで喉を潤し、話を続ける。
「車の、荷物ね」
「はい」
「あれ、どこか置いておく場所がないかな。さっきの那美ちゃんの感じだと、どこに行ってもお小言を食らいそう」
そして、誰が相手でも開戦してしまいそうな今の自分がいる。別に、争いをたしなみたいわけではない。可能ならば回避したい気持ちはあった。
「日持ちのしないものは、ないですよね?」
車の荷室に積んであるのは、アメリカに持っていった手荷物とアメリカから持ってきた土産だ。小間物と衣類が大半を占めている。傷む危険のある類いは存在しない。
「では、SO101に置いておくのはどうですか?」
「SO101?」
「ええ。もう誰も来ませんよ」
孝子の知らぬ間にカラーズはlaunch padへの移転を完了していた。創業の地である舞浜大学千鶴キャンパス、インキュベーションオフィスSO101は、今やもぬけの殻なのだ。
「そっか。SO101も、終わりか」
SO101の契約を結んだのは、孝子が大学一年生だったころだった。二年が過ぎていた。
「人が集まったときは、たまらない狭さだったけど、いざ離れるとなると、少し寂しい気もするね」
「そんな感傷、交通の便を比較した瞬間に消し飛びますよ」
「言う言う。郷本君はlaunch padに、どうやって通うの?」
「自転車です。電動アシスト付きの」
「思い出した。雨が降ったら出社しない、ってほざいてたよ。よし。SO101に持っていこう」
「三月いっぱいで契約を打ち切るそうなので、来月の末までには回収してくださいよ。難しいようでしたら、折を見て海の見える丘か鶴ヶ丘に運んでもいいですが」
「そんなに長く向こうにはいないけど、運んでもらうのは、お願いしようかな。結構な荷物だしね」
「わかりました。ちなみに、どれくらいで戻られるご予定でしょう?」
「レンタカーが一カ月の契約なの。残り二週間ぐらいかな。だから、そのころをめどに」
言って、たった二週間しか残っていないのか、とぶ然たる面持ちになった瞬間だ。ふと孝子はひらめいた。倫世が手配してくれたビジネスジェットも、であったが、借り物は期限付きで使いづらい。そこで、今後の福岡行きには自分の車を使う、というのは、どうだろうか。一〇〇〇キロ余の長駆も大した労苦とは感じなかった。これしかない。考えるだけで心が沸き立ってくる。
突如、へらへら笑いだした孝子を見て、眼前の尋道は、けげんな顔をしている。




