表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未知標  作者: 一族
428/747

第四二七話 アフタートーン(一〇)

 約一週間ぶりの、正確には六日ぶりの、日本だ。二月一二日の午後、孝子と倫世が搭乗したビジネスジェットはプレミアムゲートトウキョウに安着した。連絡バスで東京空港の国内線ターミナルへと移動し、九州国際空港行きの飛行機に乗り継ぐ。

 福岡の地に降り立つと、あらかじめ事情を告げ、協力を要請していた倫世の母が二人を出迎えた。彼女の案内で岡宮家の菩提寺、法光寺へと急ぐ。閉門までにたどり着けるか、微妙な時刻だったが、長期滞在するつもりでいる孝子と違い、倫世は明日の昼にプレミアムゲートトウキョウからたたねばならない。彼女のためにも、今日中に墓参を決行したいところであった。

 午後五時の閉門時間ぎりぎりに一行は山門をくぐった。倫世の母が寺務所に走る間に、孝子と倫世は響子の墓に走る。供物は、抜かりなく倫世の母が用意してくれていた。並べた中心に「ワールド・レコード・アワード」のトロフィーとスマートフォンを置く。

「それ、なんだ?」

 倫世が問うてきた。

「歌を流してやろうかと思って」

「アートの?」

「他に、何があるの」

「どうせなら、お前が歌えばいいじゃない」

「『ワールド・レコード・アワード』の報告なんだし、アートでいいんだよ」

 言い合っているうちに倫世の母が戻ってきた。

「オーケーよ。ごゆっくり、って言われたけど、まあ、手早く済ませよう」

「うん。たむママ」

 暮れなずむ初春の空の下、法要が始まった。スマートフォンから響くアーティの『FLOAT』が読経代わりだ。

「この歌、ね」

 一心不乱に祈りを捧げていた倫世と倫世の母が顔を上げた。

「ささ舟。子供のころに、そこの川で流したささ舟が、モチーフなんだ」

「すぐに堰があって、いつも沈没してたじゃない」

 孝子と一緒にささ舟を流していただけあって、倫世の反応は早かった。

「『FLOAT』の動画を見たけど、あれ、沈みそうになかったぜ」

 倫世が言っているのは『FLOAT』のミュージック・ビデオについてだった。物語仕立てのそれは、白いドレスをまとったアーティが、帆船のたどる海路を見守る形で進んでいく。アーティがなぞらえられているのは女神で、彼女の加護によって帆船の航海は成功裏に終わるのだ、と予感させつつ、ミュージック・ビデオは終幕となるのである。

「アートは、ああいう感じのほうがいいんだって、さ。金さえ払ってくれれば、どう解釈されようと私は気にしないのだ」

「さすが響子の娘。あいつも、今、ほっと胸をなで下ろしたね。たくましく育った。私の若いころに、そっくりだ、って」

「たむママ。あのおばさんに似てるなんて私への誹謗中傷だよ?」

 哄笑を機に法要は終わった。

 翌、朝一に孝子は九州国際空港まで倫世を送った。帰途で孝子は、福岡滞在中の生活を豊かにするため、いくつかの下準備を行う。

 手始めに空港近くのレンタカー店を訪れ、マニュアル車を発注した。足として使うのだ。期間は、なんと一カ月に定めた。あいにくと店舗にマニュアル車の在庫はなかったが、どのみち田村家の軽トラックを借りていたので、レンタカーに乗って帰ることはできない。夕方までに用意する、と言われ、再訪を約して孝子は店から立ち去った。

 お次は、トリニティ福岡ショールームに向かう。一人で、勝手気ままな生活を、存分に送るつもりの孝子だ。たっぷりと発生するであろう余暇の手慰みに楽器が欲しかった。目星はある。ハンディータイプのシンセサイザーだ。市井美鈴へ歌舞の個人レッスンを施した際に、剣崎が貸し出してくれたものの操作感が気に入っていた。

 羽形駅の直近に建つ八階建ての福岡ショールームは、亡母の勤務先であった。ここで響子は音楽教室の講師を務めていた。その仕事ぶりを拝んだことはなかったが、あの荒い気性で、本当に講師が務まっていたのか、と今にして疑念が湧いてくる。案内板によれば音楽教室があるのは五階だ。行って、問い合わせようか、と一瞬でも考えたのは、里心が引き起こした気の迷いに違いなかった。目当ての商品を購入した孝子は、足早に福岡ショールームを後にした。

 ともあれ、態勢は整った。いつも誰かが一緒だった短い帰省ではない。予定では、一カ月。誰にも気兼ねない明け暮れを送る。絶対に満喫しなければ、と意を決する孝子であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ