第四二七話 アフタートーン(一〇)
約一週間ぶりの、正確には六日ぶりの、日本だ。二月一二日の午後、孝子と倫世が搭乗したビジネスジェットはプレミアムゲートトウキョウに安着した。連絡バスで東京空港の国内線ターミナルへと移動し、九州国際空港行きの飛行機に乗り継ぐ。
福岡の地に降り立つと、あらかじめ事情を告げ、協力を要請していた倫世の母が二人を出迎えた。彼女の案内で岡宮家の菩提寺、法光寺へと急ぐ。閉門までにたどり着けるか、微妙な時刻だったが、長期滞在するつもりでいる孝子と違い、倫世は明日の昼にプレミアムゲートトウキョウからたたねばならない。彼女のためにも、今日中に墓参を決行したいところであった。
午後五時の閉門時間ぎりぎりに一行は山門をくぐった。倫世の母が寺務所に走る間に、孝子と倫世は響子の墓に走る。供物は、抜かりなく倫世の母が用意してくれていた。並べた中心に「ワールド・レコード・アワード」のトロフィーとスマートフォンを置く。
「それ、なんだ?」
倫世が問うてきた。
「歌を流してやろうかと思って」
「アートの?」
「他に、何があるの」
「どうせなら、お前が歌えばいいじゃない」
「『ワールド・レコード・アワード』の報告なんだし、アートでいいんだよ」
言い合っているうちに倫世の母が戻ってきた。
「オーケーよ。ごゆっくり、って言われたけど、まあ、手早く済ませよう」
「うん。たむママ」
暮れなずむ初春の空の下、法要が始まった。スマートフォンから響くアーティの『FLOAT』が読経代わりだ。
「この歌、ね」
一心不乱に祈りを捧げていた倫世と倫世の母が顔を上げた。
「ささ舟。子供のころに、そこの川で流したささ舟が、モチーフなんだ」
「すぐに堰があって、いつも沈没してたじゃない」
孝子と一緒にささ舟を流していただけあって、倫世の反応は早かった。
「『FLOAT』の動画を見たけど、あれ、沈みそうになかったぜ」
倫世が言っているのは『FLOAT』のミュージック・ビデオについてだった。物語仕立てのそれは、白いドレスをまとったアーティが、帆船のたどる海路を見守る形で進んでいく。アーティがなぞらえられているのは女神で、彼女の加護によって帆船の航海は成功裏に終わるのだ、と予感させつつ、ミュージック・ビデオは終幕となるのである。
「アートは、ああいう感じのほうがいいんだって、さ。金さえ払ってくれれば、どう解釈されようと私は気にしないのだ」
「さすが響子の娘。あいつも、今、ほっと胸をなで下ろしたね。たくましく育った。私の若いころに、そっくりだ、って」
「たむママ。あのおばさんに似てるなんて私への誹謗中傷だよ?」
哄笑を機に法要は終わった。
翌、朝一に孝子は九州国際空港まで倫世を送った。帰途で孝子は、福岡滞在中の生活を豊かにするため、いくつかの下準備を行う。
手始めに空港近くのレンタカー店を訪れ、マニュアル車を発注した。足として使うのだ。期間は、なんと一カ月に定めた。あいにくと店舗にマニュアル車の在庫はなかったが、どのみち田村家の軽トラックを借りていたので、レンタカーに乗って帰ることはできない。夕方までに用意する、と言われ、再訪を約して孝子は店から立ち去った。
お次は、トリニティ福岡ショールームに向かう。一人で、勝手気ままな生活を、存分に送るつもりの孝子だ。たっぷりと発生するであろう余暇の手慰みに楽器が欲しかった。目星はある。ハンディータイプのシンセサイザーだ。市井美鈴へ歌舞の個人レッスンを施した際に、剣崎が貸し出してくれたものの操作感が気に入っていた。
羽形駅の直近に建つ八階建ての福岡ショールームは、亡母の勤務先であった。ここで響子は音楽教室の講師を務めていた。その仕事ぶりを拝んだことはなかったが、あの荒い気性で、本当に講師が務まっていたのか、と今にして疑念が湧いてくる。案内板によれば音楽教室があるのは五階だ。行って、問い合わせようか、と一瞬でも考えたのは、里心が引き起こした気の迷いに違いなかった。目当ての商品を購入した孝子は、足早に福岡ショールームを後にした。
ともあれ、態勢は整った。いつも誰かが一緒だった短い帰省ではない。予定では、一カ月。誰にも気兼ねない明け暮れを送る。絶対に満喫しなければ、と意を決する孝子であった。




