第四二四話 アフタートーン(七)
「Jenny's」での晩餐は午後六時の開始である。一時間前になるとホテルに送迎の車がやってきた。白い巨大なSUVだ。貧相な二人組をもてなすには過剰な大きさに思えたが、理由は別途で存在した。それは晩餐の参加人数にあった。
広く高いクラウス夫妻の背に隠れて、一人の少女が付き従ってきていた。ミシェル・クラウスは、シェリルとビンスの一人娘だ。細長い背丈は、もう少しで父親に追い付きそうである。一八〇の半ばあたりか。シェリルの柔和とビンスの鋭角が程よく交ざった幼い童顔や、未成熟な体つきを見るに、年齢はかなり低いものと思われた。予想は当たって、後で聞いたミシェルの年齢は一一歳だった。まだ小学生だ。
「僕たちも交ぜてもらうことにしたよ」
ホテルのロビーで合流した際にビンスは、そう言った。この言い草では、当初、娘と父は晩餐を欠席するつもりでいたようだ。何かしらの事情があったのだろう。孝子の知った話ではなかったので、追及はせずに置いておく。
「ハーイ。ミシェル」
せいぜいにこやかに声を掛けたつもりの孝子に、なぜか、ミシェルはびくりと一歩を引いた。人見知りなのだ、という読みは外れた。
「優しそうな人」
おずおずした口調でミシェルが言った。
「ん?」
「あの怖いマムを叱った、って聞いて、タイガーみたいな人を想像してたの」
「誰がタイガーですって」
うなりながら孝子はミシェルに近付いた。この手は鳴き声が実際の虎に似ているかどうかの問題ではない。何より、雰囲気だ。倫世による、逃げろ、食われるぞ、といった当意即妙な合いの手も効いた。ミシェルは黄色い声を上げてはしゃいでいる。
ひとたび打ち解けたなら展開は早いものとなる。移動の車内で勢いは増し、「Jenny's」の店内に至ったころには、すっかり意気投合している孝子とミシェルであった。
「もうずっと昔からの友達みたいね」
宴もたけなわのときだ。目を細めて言うのはシェリルだった。
「うん。やっぱり、付いてきてよかったよ、マム」
「何かあったの?」
「なんでもないよ、ケイティー」
どぎまぎしているのが見え見えだ。
「ミシェル」
ずいと迫れば、ミシェルはきょろきょろして両親に助けを求める。
「ケイティー。実は、ね」
説明はビンスによって行われた。
「最初は、行かない、って言ってたんだ。マムがバスケットボールを辞めて、一緒に過ごせる時間が増えると思っていたのに、いつの間にかバスケは続ける、しかも、日本で、って話が決まっていて。きっかけを作ったケイティーになんか、会いたくない、って」
「ダッド! やめて!」
幼いミシェルが、そう考えるのは、さもありなん、と思う。出会い頭にビンスが言ったせりふにも合点した。娘を一人にしておけないがために、父は晩餐に参加できなかったわけだ。
「罪作りをしたな」
つついてきたのは倫世であった。が、ここでしおらしくしていては、タイガーの二つ名にはばかりがあろう。
「違う。やられたらやり返さなくちゃいけないんだよ。私は、へたばってるシェリルに、活を入れてあげたの。感謝されこそすれ、恨まれる覚えなんてないね」
かっと見開いた目で見れば、ミシェルは、がくがくとうなずく。
「まあ、いい。そうそう。話の途中だったね。結局、どういう風の吹き回しで、憎き私に会ってみる気になったの?」
「う、うん……。私のマム、すごく怖いの」
「見ればわかる」
「ケイティー」
叱声に、孝子が肩をすくめてみせるまでの流れは、実にスムーズだった。この組み合わせの相性も、なかなか悪くない。
「そのマムを叱るなんて、すごく勇気がある、と思って。あと、ダッドの車で駐車場をぐるぐる回って、って話も聞いて。不思議な人。興味が湧いて、会ってみたくなったの」
「よかったね、ミシェル。気が変わって。危うくすてきな美女との出会いを逃すところだったよ」
「シェリル。あいつの、ああいう豪放さって、結構、年下受けがよくて、人気あるんだよ。ミシェルの教育に悪い影響を及ぼすかも」
倫世が好き勝手に論評するそばで、罪がない少女の目は、好奇の念できらきらと輝いている。まなざしの先にあるのは、もちろん、豪放で年下受けのよい人気者、とかいう自称の美女だ。どうやら手遅れだった模様である。




