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未知標  作者: 一族
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第四一九話 アフタートーン(二)

 明日六日の夕方、日本をたったビジネスジェットが、まず向かうのはシアルスだ。川相宅で数日を過ごし、「ワールド・レコード・アワード」の前日、現地時間九日早朝にレザネフォル入りする。レザネフォル入りした当日から「ワールド・レコード・アワード」は、レセプションやらの行事が始まるが、これは無視してよい。現地での接待役をシェリルに依頼しているので、合流後は指示に従う。宿泊先もシェリルが手配してくれているので心配は無用である。帰国の便は、「ワールド・レコード・アワード」授賞式の翌日、一一日正午にシアルスをたつ。到着は、日本時間の一二日午後となる予定だ。以上――。

「何か、質問はあるかね?」

 長広舌を振るい終えた倫世は、供されたまま、口を付けていなかったコーヒーを、がぶりとやった。

「ない。たむりんに加えて、後見に郷本君もいるんだもん。信頼してる」

「僕は何もしていませんよ。さすがはColours of Sealthの領袖。お見事です」

 カラーズの契約アスリート、川相一輝のマネジメントを唯一の業務とするColours of Sealth、唯一の構成員が倫世なのだ。領袖呼ばわりは大げさに過ぎる感もあるが。

「うん。頑張ったよ。お楽しみがあってさ」

「お楽しみ?」

「お前、授賞式には行くんでしょ?」

「どうしようかな。アートやエディさんに誘われたら行かなくちゃだけど。さっきの予定だと、会うか会わないか、わからなかったよね。顔を合わせないで済むなら、行かないかも」

「行けよ。私が楽しくないだろ」

 底意地の悪い顔を倫世はしている。

「私が『ワールド・レコード・アワード』に行ったら、なんでお前が楽しくなるの」

「お前にぶすメークができる」

「は?」

「授賞式に出る場合は、うっかり、どこの誰だかばれないよう、変装をしてはいかが、って郷本氏に言われたんだよ。わかった。おかみにぶすメークする、って言ってやったわ」

「ふざけるな!」

「覚悟しな」

「絶対、行かない」

「神宮寺さん。落ちを用意しておきましたので、それを聞いた上で出欠を判断してください」

「何」

「ノミニーは授賞式に同伴者を一人、連れていけるんですよ。エディさんに、もし神宮寺さんが行く場合は、同伴者は川相倫世さん、と伝えてあります」

「お。私も授賞式を見物できるのか。これは、ますます、行ってもらわないとなあ!」

「川相夫人の倫世さん、割と顔が売れてる自覚はおありですか? 川相倫世さんの交友関係を探れば、神宮寺さんの名前は、割と容易に出てくると思うんですね。なので、川相倫世さんもぶすメークとやらを施して、素性が知られないよう努めてください」

 孝子と倫世は同時にのけ反っていた。

「おい! 郷本氏! 罠か!」

「たむりん。この人は詐欺師なんだよ。こういう引っかけを、よく仕掛けてくるの」

「人聞きの悪い」

 紛争も、ようやく収まったころだ。ダイニングテーブルに突っ伏した倫世がうめいた。

「しかし、染みる名前だよね」

「何が」

「『オカミヤキョウコ』って名前。世界に響き渡ればいいなあ。響子ママだけに」

「なるわけない」

 無粋な突っ込みを無視して、倫世の夢想は続いた。

「トロフィーに、Kyoko Okamiya、ってあったらかっこいいよ」

「それ以前に岡宮鏡子の名前の入ったトロフィーはないでしょう」

「いえ。『最優秀楽曲賞』なら、受賞者全員がトロフィーを授与されますよ」

 受賞者全員、ということは、スタジオミュージシャンとしてレコーディングに参加した郷本信之も、その対象なのだ。息子として、ひそかに期待している、と尋道は続けて語った。

「あ。おじさまもなんだ」

「ええ。レコーディングに関わった全員ですね」

「そういう話なら賞をもらってもいいね」

「随分、態度が違うな」

「あのおばさんには、含むところしかないんだよ。私は」

「例えば『カエル事件』とかか」

「なんですか。カエルでも食べさせられたんですか」

 違う。孝子が生まれ育った福岡県春谷市春谷町の実家は、風光明媚な田園風景の中にあった。当然、周りには、虫やら、は虫類やら、両生類やら、が闊歩している。孝子にはきゃつらに対する拒絶反応は全くなかったが、隣家の田村家令嬢は違った。特に両生類が苦手で、見掛けてはおぞけ立つさまを、笑い飛ばしていたものだ。

 何歳のみぎりであったかは、もはや定かではない。手に持ったカエルを突き付けて、倫世の反応を楽しんでいたときだ。今にして思えば、クソガキの極みではある。

 突如、孝子の体が宙に浮いた。そのまま田んぼに、ぼちゃんといった。あぜ道には、仁王立ちする響子の姿があった。蹴飛ばされたのだ、とわかった。

「生き物で遊ぶな!」

 怒声が、友達に意地悪をするな、でなかったあたりが響子のらしさだ。あぜんと見上げていると、響子は返す刀で倫世にも雷を落としている。

「倫世! ぴいぴい泣いてないで、やられたらやり返せ!」

 母、いいことを言う。やられたらやり返さなければ。よろよろと立ち上がった孝子は、両手いっぱいに田土をすくった。突進だ。娘の戦闘準備に気付き、響子はにらみ付けてきたが、構うものではない。傍らに立つ倫世の恐怖にゆがんだ顔は、記憶に鮮明に焼き付いている。いわく、おかみ、死んだ、と思ったそうな。

 結論から言えば、孝子は死ななかった。やられたのでやり返してきた娘に、さらなるせっかんはできない、という響子の理屈に救われたのだ。調子に乗って、あかんべえをしたら、げんこつで頭をなでられたが。結局、殴りやがって。あのあばずれ。

「カエル事件」とは、そんな母子の思い出話なのであった。

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