第四一四話 未来への序奏(一六)
尋道との通話が終わり、孝子は電話を切った。と、間髪を入れず着信だ。一体、今日はどういう日なのか、とスマートフォンの画面を見れば、尋道の名が表示されている。何か言い忘れたのだろう。
「らしくないね。言い忘れ?」
「ええ。もしお持ちだったり、既に申請されていたら申し訳ないのですが、神宮寺さん、パスポートはお持ちですか?」
「でかした!」
所持していない。発給には一週間程度は見ておいたほうがいいらしい。すぐに動くべきだ、と助言を受け、従うことにした。何々、申請には、申請書、戸籍、写真、本人確認書類などが必要、と。
「郷本君は、もう持ってるの?」
「持っていませんよ。必要ありません。僕は行きませんし」
「マネ」
「時差なんて、冗談じゃないですよ。それでは」
あっけにとられているうちに、さっさと切られた。失笑しかない。
さて。パスポートだ。写真を撮るために身だしなみを整えた孝子は自室を出た。LDKには三人がそろっていた。麻弥はスマートフォンを片手に暇つぶしとみた。春菜と佳世は考査の勉強中だ。
「あれ。どこか行くのか?」
「パスポート用の写真を撮りに」
「あ。お前も行くのか」
「『ワールド・レコード・アワード』を見に行くかは、わからないけど、ビジネスがあってね」
「ビジネス?」
「うん」
孝子は、二人の会話をうかがっていた春菜に目を向けた。
「おはるー」
「はい」
「シェリルとアートが舞姫に来るよ」
「え!?」
異口同音に驚愕の声が漏れた。
「あの人、なんでまた」
「決まってるじゃない。『機械仕掛けの春菜』と日本のバスケを見極めて、四年後のユニバースでゴールドメダルを奪還するためだよ。シェリルは四年かけてアートを鍛えるんだって。二人でおはるを打ち負かすの」
春菜は目を見張った。
「私をそこまで買うとは。さすがシェリルです。面白いじゃないですか。受けて立ちますよ」
「そうこなくっちゃ」
「しかし、厳しい戦いになりますね。そもそもの物が違い過ぎます。ユニバースでは、両チームの大エースがにらみ合っている間に他が頑張る、なんて小細工を弄して勝ちましたが、アートがシェリルの直伝を受けることで、その手は使えなくなりました。このままでは、どちらか追い切れないほうの手に掛かって、全日本はぼろぼろにされるでしょう。お姉さん」
「うん」
「写真を撮った後のご予定は?」
「戸籍を取って、申請しに行って」
「その後は?」
「何か用があるの?」
「はい。重工に行こうと思うのですが、ついでに乗せていっていただけませんか。瞳ちゃんにハッパをかけます」
「アートを迎え撃つのは須美もんに任せるの?」
孝子は問うた。
「はい。私と気心の知れた仲で、かつ、ぎりぎりアートの身体能力に対応できそうなのが瞳ちゃんなので」
「池田は?」
麻弥の言に、春菜は首を横に振った。
「正村さん。見てくださいよ。このほうけた面を」
春菜が指したのは佳世の顔だ。言葉どおり、ぽかんとしている。
「池田。腕が鳴るぜ、とかこれっぽっちも思ってないでしょ?」
「はい。全然」
「役に縛り付けず、自由気ままにやらせてあげないと、実力を発揮できない、ってわかってます。何しろ闘争心のない子なので」
「はい!」
ごしごしを頭をなでられて、佳世は目を輝かせている。
「須之か池田を鍛えられたら楽だったんですけどね。どちらも覇気がなくて。でも、仕方ありません。人には向き不向きがあります」
述懐して、春菜は、なぜか、笑いだした。
「四年後には須之はいないんだった。論外でしたね」
恩師、長沢美馬の去就に釣られて揺れ動き、結果、バスケットボールの一線から退くことになったのが須之内景だ。教職を退き、舞姫でコーチ職を得る予定だった長沢は、那古野女学院の勧誘を受け、同校への転職を決めた。恩師故に、と舞姫に参加する景だけに、この事態を受けて、大いに狼狽したものである。最終的には、二人の師匠に当たる舞浜大学女子バスケットボール部監督、各務智恵子の裁定により、長沢と景の師弟関係は那古野女学院で継続する、と決まった。景も恩師と同じ職に就くのだ。現在、大学二年生の景なので、二年後の春が彼女の選手生活の期限になる。論外とは、そういう意味であった。




