第四一二話 未来への序奏(一四)
午前中いっぱいの考査を終えて帰宅した孝子が、自室に戻って、スマートフォンを充電スタンドに置きかけたときだった。着信だ。画面には、Sheryl Klaus、とある。エディを聴取して得た連絡先に、断りなく『Voyage』を送り付けるという非礼を働いてから、はや一週間が過ぎていた。
他人の決断にけちを付ける『Voyage』の歌詞であった。反応は、ほぼない、と思っていたので、意外といえた。だが、一口に反応といっても、プラスもあれば、マイナスもある。前者か、後者か、この場合なら後者の可能性が高かろうが。
「ハロー」
「ハロー。ケイティー?」
落ち着いた低音が聞こえてきた。シェリルの顔は知っていたが、声は知らなかった孝子なのだ。
「ケイティーだけど、そちらはシェリル?」
「ええ。そうよ。ケイティー。今日は、あなたに物申すために電話したの」
声色でわかる。怒っているわけではなさそうだった。持って回った言い方には、こちらも相応の対応をしなくては失礼に当たる。
「悪いけど、私、英語、わからなくて」
「今、私と英語で話してるじゃないの」
からからとシェリルは大笑している。
「そう言われてみれば、そうだね。お気に障った?」
「ええ。おんぼろ呼ばわりされたり。老いぼれ呼ばわりされたり。ひどい歌だったわ。許せない」
「許せないなら、どうするの?」
「ケイティーが間違っている、と証明するわ」
どうも事態は、よい方向に転がりつつあるようだ。とくれば、流れを途切れさせぬことが肝要だった。
「できるの?」
「できる。……と言いたいところだけど。ねえ、ケイティー」
「うん」
「あなたは、ああ歌ってくれたけど、やっぱり、四年は私には長いのよ。四年後の私は確実に今よりも衰えているわ。一方の『機械仕掛けの春菜』は絶頂に差し掛かろうとするころでしょう。このまま月日が推移すれば、私は、ステーツは、もう一度、負ける」
結局、やらないのか。もう少し静観を続ける。
「あらゆる手を尽くさなければ、『機械仕掛けの春菜』には、日本には、勝てないのよ。ケイティー」
「何?」
「あの歌を贈ってくれたあなたは、私の味方なの?」
「そうだよ」
正確には、アーティの味方、だが、余計な発言は慎むべきなのである。
「あなたにお願いがあるの」
「言って」
「ええ。日本のリーグは、これまで外国籍の選手を受け入れてなかったそうね。それが解禁された、と聞いたわ」
「そうだね。来シーズンから、かな」
「前に、アートに聞いたけど、チームを持っているのね? スーやミス、『機械仕掛けの春菜』のいるチームを」
「ええ」
「私と契約して。あなたのチームでプレーさせて」
思いがけない展開だった。舞姫でのプレーをシェリルが望む狙いは、なんなのか。
「私の考えを全て話しましょう。日本人のあなたには、おそらく受け入れ難いことよ。断られても仕方がない、と思うわ」
「言って」
「間近で、『機械仕掛けの春菜』を、日本のバスケットボールを、見極めたいのよ。四年後にレザネフォルのユニバースで勝つために」
「うん」
「アートも連れていく。アートとも契約して。四年後の私では『機械仕掛けの春菜』を抑えきれないかもしれない。だから、四年かけてアートに私の全てを伝えるわ。あの子と二人で『機械仕掛けの春菜』を倒す」
「Ms.Basketball」が、その誇りを懸けた最後の航海に臨もうとしている。邪魔をするような無粋は、孝子の意気が許さない。
「いいよ。シェリル。あなたたちと契約する。今の話を、すぐにアートに伝えて。べそをかいてた。航海に泣き虫は連れていけないでしょう?」
「そのとおりよ。最後に、ケイティー」
「うん」
「いつか『Voyage』を聴かせてくれたらうれしい。じゃあ、また」
「うん。またね」
返事を聞かぬまま、シェリルは通話を切ってしまったが、孝子はリクエストを受ける気になっていた。シェリルが来日したときでもよかったし、孝子が渡米してもいい。至近に口実があるといえばある。「ワールド・レコード・アワード」だ。授賞式はレザネフォルの誇るアリーナ、ザ・スターゲイザーにて開催される。かこつけて現地に向かい、シェリルの船出を祝うのも面白いかもしれなかった。




