第四〇七話 未来への序奏(九)
家屋は横長の長方形を取っていた。南の表玄関と北の裏玄関とをつなぐ直線の廊下に中央で隔てられ、その東西には四区画ずつが配されている。宿泊施設にも見える、これは、一体、いずこの平面図なのか。
「あーっ! わかった! 新しい『本家』だ!」
孝子の思案がつく前に那美の叫声だった。そうだ。平面図は美咲が建て替えを進めている「本家」のものなのだ。手掛かりは西側南端の区画にあった。広い排水設備が設けられている。今は多機能トイレのみだが、将来的にはさらなる介護・福祉機器の設置も視野に入っていることだろう。こここそ、老父のため、とのうたい文句で動きだした計画の、肝要となる場所に違いなかった。
「おじいさまのお部屋」
孝子は西側南端の区画を指した。
「そう。で、この上は私たちの水回りとかね」
一つ北上した区画には、浴室、脱衣室、トイレ二室、リネン室、洗面室兼ユーティリティーといった共用施設が集約されていた。水回り区画のさらに北はDKだ。残る西側北端と東側の全区画は居室となっている。
「寮とかっぽい」
かぶり付きで眺めていた那美が顔を上げた。
「機能的で、いいでしょ。突き詰めたら、こうなるの。くねくねと家の中で動く必要なんてないのさ」
実に率直で好ましい思想の表明といえた。
「いいね! 美咲叔母さん、もう部屋割りは考えてるの?」
「私は、ここ。残りは好きにして」
えっ、と孝子と那美の口を声がついて出た。無理もない。美咲の指した部屋が西側北端だったのだ。
「こっちじゃなくて?」
東側南端の部屋を那美は指した。両室には日当たりに雲泥の差が発生する。構わないのか、という問いだった。
「私は寝られさえすればいいんでね。そんなことよりも大事なのは裏玄関までの距離」
日当たりには頓着せず、勤務先である神宮寺医院までの距離が最短となる部屋、すなわち西側北端となる。
「いいかげんばばあになって、ひなたぼっことかしたくなったら、お父さんの部屋に移るよ。よって、私に遠慮する必要なし」
「はーい。ケイちゃん、どこがいい?」
「あ。一応、部屋の広さは、どれも一緒なんだけど、真ん中の二部屋は窓が一カ所しかないから、若干、採光が悪い。二人は北か南かにしておきな」
東側のみにしか開口部を設置できない中ほどの二区画と、東および北あるいは南を使える二区画の差であった。
「どっちがいいかなー。ケイちゃんは?」
「選んでいいなら南の部屋だけど、那美ちゃんも、そうでしょう?」
「まあねー」
その時だ。さっとロンドがぺらの上に進み出た。右前足を差し出して、東側北端の区画に置く。
「ここにしろ、って?」
絶対に偶然、とは思ったものの、那美と部屋の取り合いをおっぱじめるのもおっくうだった。ロンドの挙を買うとする。
「決まったか。あとは、あれだ。今のところ、全部の部屋が同じ間取りになってるけど、もっとこうしたい、とかリクエストがあったら、言ってね」
と言われても、だ。平面図の数値を見れば、一区画の広さは六〇平米以上ある。これ以上、何を望めというのか。
「孝子、高校のとき、『本家』でギターの練習させてくれ、って言ってきたことがあったじゃない? そういった系とか」
望みたいものが、見つかった。美咲の一言から、孝子の脳裏では音の連鎖が起こっていた。
「美咲おばさま」
「うん」
「この部屋、私の自由にさせてください」
「いいよ」
「お金は、私が払います」
「音楽関連?」
「はい」
「一応、言っておくと、防音の性能も、相当、いい家になる予定なんだけど、足りなそう?」
「音響にも、こだわってみたいんです」
「ああ。そっち方面は大工に聞いても無理だろうね。わかった。好きにしていいよ。ちょっと待って」
美咲は先ほどのファイルの中をまさぐり、名刺を引き出した。平面図と合わせて孝子に手渡してくる。
「棟梁ね。注文があったら、この人に言って」
「はい。ありがとうございます」
孝子の声は弾んでいた。福岡を離れて以来、没入する機会が限定されていた音楽を、手元に取り戻す千載一遇の好機だ。妥協のない環境を構築するため、金に糸目をつけない気になっている。面白いことになってきたようだった。




