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未知標  作者: 一族
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第四〇四話 未来への序奏(六)

 孝子が独り言ちたのは、登校を前に充電スタンドのスマートフォンを取り上げ、ふと着信を確認したときだった。内容は、ずらりと並んでいた発信者たちのうち、一部に対する悪口になる。

「朝っぱらだっていうのに暇だね」

 アーティと『FLOAT』が、「ワールド・レコード・アワード」の、「最優秀楽曲賞」、「最優秀歌唱賞」、「最優秀新人賞」、これら各賞にノミネートされた、というメッセージであった。発信者たちのうち、現地で発表を聞いていたであろうミューアきょうだいは、いい。残りの連中、剣崎龍雅とトリニティのエンジニアチームは、時差のある日本で、その瞬間を待っていたようだ。アメリカ在住の二人と、ほとんど同時刻に集中したメッセージが物語っている。孝子が、暇だね、とあざけった理由だった。

 孝子はアーティにだけ祝福のメッセージを送ることにした。他は自分も含めて、彼女を支えるスタッフに過ぎない。お互いさまで済む。

 メッセージの送信を終え、やれ、行くとするか、と孝子はスマートフォンをトートバッグにしまいかけた。マナーモードの振動だ。アーティである。登校の時間は迫っていたが、適当にあしらって、短時間で済ませればいいだろう。さぞ喜んでいるに違いない。受話口は、耳との距離を離しておいたほうが懸命かもしれなかった。

「ハーイ、アート。おめでとう。なかなか、やるじゃない」

「……ええ」

 耳をつんざくような歓呼、ではなかった。それどころか、くぐもってよく聞き取れない。ふるったメッセージから数時間で、一体、何があったのだ。

「どうしたの?」

「え? ああ。ごめんなさい。せっかくケイティーの歌でノミネートできたのに、こんなで」

「私のことはどうでもいいんだけど。アートはどうしたの」

「……シェリルに、知らせに行ったのよ。ついでに、そろそろ来シーズンに向けたトレーニングを始めるころでしょう、って言いに。そしたら、引退するかも、だって」

「え? 今年もエンジェルスで、すごかったんでしょう?」

「うん……」

 アーティの語った、シェリルが引退を検討するに至った要因は、雪辱戦への展望に不安があるため、であった。そそがねばならぬ恥を受けた相手は、全日本女子バスケットボールチームの誇る大エース、「機械仕掛けの春菜ハルナ・エクス・マーキナー」、その人だ。

 ユニバースの借りはユニバースで返さなければならない。だが、今の自分に四年は長い、とシェリルは言ったそうだ。一六歳が二〇歳になるのではなかった。四〇歳が四四歳になる。とても、持たない。

 シェリルなら持つ。五〇歳までだってプレーできる、と翻意を促したアーティに、返ってきた答えは、

「二二歳のあなたには、まだわからないでしょうね。衰えは、本当に容赦のない追跡者なのよ」

 という。

「シェリルの選手生活が終わりに近づいているのは、私だってわかってる。でも、今じゃない。今じゃないのよ。次のユニバースはレザネフォルよ。そこでゴールドメダルを取って、花道にしてほしかったの。だのに……」

 アーティの切々とした語りは終わりそうにない。そして、まずい。そろそろ出発しなければ遅刻する。しかし、また今度、とは打ち切りづらい話題である。

「アート。ちょっと、待ってて」

 保留して、LDKに向かった。ダイニングテーブルに着いていた三人の同居人が、一斉に孝子を見る。春菜と佳世はトートバッグを抱えて準備万端の装いだ。

「どうした。遅刻するぞ」

「麻弥ちゃん。二人を送ってきてくれない? 手が放せなくて」

「え?」

「電話中。お願いね」

 Uターンして、自室に戻った。

「アート。お待たせ」

「……そうだ。話を聞いてほしくて、つい電話しちゃったけど、日本は、何時なの? かなり時差があるのよね?」

「朝の八時だけど、大丈夫。用事は済ませてきた」

「悪いね」

「ねえ、アート」

 孝子は、春菜のLBA参戦を語る気になっていた。ユニバースの借りはユニバースで、と言っているシェリルに、どの程度まで響くかは予想できなかったが、物は試しだ。何より、強気な女が発する弱気な声音をなんとかしたかった。

「へえ。グレースも考えたわね」

 顛末を聞いたアーティの声に、張りが戻った、気がした。一気に畳み掛ける、またとない好機が到来した。

「四年後のユニバースに向けた前哨戦よ、ってシェリルをあおったら?」

「いいわね! ケイティー、それ、いただきよ!」

 すぐにでもシェリルに伝えたい、とはやるアーティとの通話は、直後に終了した。奏功してくれればいいと思うが、あとはアーティの話術とシェリルの意気にかかっている。静観しかできない孝子のするべきは、遅ればせながらの登校であった。

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