第三八九話 さかまく火群(一九)
ザ・ブレイシーズのライブは、舞浜市中区の新舞浜駅北口で建設中となっている高層ビル、新舞浜トーアが内包する劇場において行われる。オペラやミュージカルの公演にも対応した本格の劇場で、ユニバースのゴールドメダル獲得を記念したライブを開いてほしい――この静の願いに、ザ・ブレイシーズのボーカルを務める孝子が応えて実現したものだった。
午前六時ちょうど、尋道の運転する車は新舞浜トーアに到着した。そのまま西館西口の搬出入口から乗り入れる。車はなだらかな坂をそろそろと下っていき、やがて、突き当たりの駐車スペースにとめられた。先着していた二台は、見覚えのある孝子の青い車と黒い大型のバンだ。
「車で入れるようになったんですね」
トーアを訪れるのは二度目の静だが、前回は駐車場の未整備を理由に、外までタクシーで乗り付けた上で、徒歩の入館だった。
「ああ。一般の駐車場は、まだなんですよ。今、せっせと線を引いているらしいです。ここは関係者しか使えなくて、前はカラーズがトーアと全くの無縁なので、駄目だったんですね」
「はい」
「ところが、ロケッツさんがトーアをホームアリーナにする、って話が表に出ましたでしょう。これで、ロケッツさんと提携してホームアリーナを共用する舞姫も、見事、トーアの関係者に格上げされまして。それで、舞姫の運営母体に当たるカラーズも、こちらを使えるようになったんですよ」
「そうだったんですか」
静は尋道の先導を受けてエレベーターに乗り込んだ。目指す劇場は四階にある。
エレベーターの扉が開くと、いきなり聞こえてきた。楽器の音だ。リハーサル中なのだろう。静は袖から舞台に飛び出した。
「お姉ちゃん!」
舞台の中央で鍵盤楽器の前に座っていた孝子が、首を静のほうに向けた。
「お帰り。早く席に着いて。始めるよ」
指さした客席の最前列中央には那美が座っていた。
「静お姉ちゃん。こっち!」
「う、うん」
行く前に、するべきことがある。ザ・ブレイシーズの、他のメンバーである剣崎龍雅と郷本信之に、開催の礼を述べるのだ。
「私には、お礼しないの?」
両者に謝し、客席に向かおうとした静を孝子が呼び止めた。
「さっきは、さっさと席に着け、って言ってたくせに」
近づいていき、義姉の右肩に手を伸ばすと、彼女が着けているサスペンダーの肩ひもを軽く引っ張って、離した。ザ・ブレイシーズの名前の由来となったブレイシーズは、イギリス英語でサスペンダーを指す。そろいのサスペンダーを着けるのが、ザ・ブレイシーズのトレードマークになっているのだ。
「痛っ。折れた」
わざとらしい声に、わざとらしい所作で、孝子は左の肩口を押さえている。静が引いたサスペンダーの肩ひもは右側だったのだが。
「お姉ちゃん。逆、逆」
「慰謝料をよこせ」
「もう……。お姉ちゃん。私のわがままを聞いてくれて、ありがとう」
頭を深々と下げ、上げると、けぶるような微笑があった。
「一生に一度ぐらい、こういう場所でやるのもいいよ。座って。始めるよ」
「うん」
孝子に背中を押され、静は客席に向かった。
「ただいま」
妹の那美の隣に座る。
「お帰りー」
次いで、振り返った。いつの間にか客席に下りていた尋道は、静たちのはるか後方の席にいた。
「郷本さん。そんな後ろじゃなくて、一緒に見ませんか?」
「前に、剣崎さんに教えていただいたんですが、この辺りが、一番、音の響きがいいらしいんですよ。なので、僕はここで」
「ちょっとー! なんで、そういう大事なことを、後になって言うの!」
那美が立ち上がった。
「でも、ここからだと舞台は、だいぶ遠いですよ。神宮寺さんの顔がはっきりしないぐらいですが、それでも、いいですか?」
「始めるぞ。静かにしろい」
うっ、と那美が詰まったところに、孝子の声が押しかぶせられた。静と那美は居住まいを正して、舞台に集中する。
さあ、ショータイムだ。




