第三八八話 さかまく火群(一八)
一〇月も残すところ一〇日足らずとなった、ある日の早朝だ。レザネフォル国際空港発、東京空港着の便から降り立った静は、実に羽が生えたような足取りで、いの一番に到着ロビーまで達した。待ちに待ったザ・ブレイシーズのライブを直後に控えて、高揚し切っていたのが、その推進力の源であった。
到着ロビーには尋道が来ていた。岡宮鏡子こと義姉の孝子のマネージャーとして、ライブの世話役を務めている彼なのだ。
「お帰りなさい。随分と早かったですね。まだ飛行機が着いて、そんなにたってないですよね。ファーストクラスですか?」
あまりにも早い静の登場に、尋道は驚きの表情を浮かべている。
「はい。それに、ちょっと走ってきました。ライブが、楽しみで、楽しみで」
「そうでしたか。詳しくは知りませんが、新曲も用意しているらしいですよ」
「本当に!?」
「ええ。では、行きましょう」
尋道は出口の方向を示した。
「飛行機では休めましたか?」
歩きだしてすぐの尋道の問いだった。
「はい。ファーストクラスさまさまです。郷本さんは大丈夫ですか? 確か、すごく朝が苦手なんですよね?」
「隣のホテルで、ついさっきまで寝ていたので、バッチリですよ」
隣のホテルとは、国際線ターミナルビルに隣接して立つ東京エアポートホテルだ。睡眠不足に弱い尋道は、早朝の到着便に対応するため、前日からホテルに入っていたのである。
「すみません。わざわざ。あの、宿泊費って、自腹ですか?」
出迎えのためだけにホテルに泊まったのなら、なんらかの補償をするべきではないか、と思い立っての質問だった。
「お気になさらず。これもマネージャーの仕事のうちです」
「そうだ。郷本さんがお姉ちゃんのマネージャー、って聞いたときは驚きました。もちろん、すごい適役とは思ったんですけど、そこまで親密なイメージもなくて」
「いえ。親密ではないですよ。何しろ我が強い方なのでね。親密でないからこそ、怒らせないように唯々諾々としていたら、重宝がられるようになってしまって」
「え……?」
見やった横顔には、渋い笑いが浮かんでいた。
「これまでもそうだったようですけど、今回のライブも秘密裏の開催ですね」
「はい」
「なので、その障りとなるものは、ことごとく除きました。静さんが一人で帰国できるよう、舞姫のミーティングがあるので早く戻れ、と市井さんにうそをついたり、僕以外が静さんを出迎えに来ないよう、那美さんに、姉妹水入らずで出迎える、と暴れてもらったりして」
唯々諾々とは、これか。確かに、例えば麻弥あたりに同様の依頼をしても、尋道のような徹底は望めまい。能力ではなく、おそらくは気質的な差異のためだ。それにしても、どちらの手だてもうそとは、驚き、あきれるしかない。
「大丈夫ですか……?」
「舞姫のミーティングなら、実際、チームの立ち上げが差し迫ってますので、いくらでもでっち上げられますし、お三方の仲のよさと那美さんの天真らんまんさを勘考すれば、姉妹だけの出迎えも、おかしくはないでしょう」
「はあ」
「大丈夫です。すぐばれるうそはつきません」
反応できず、会話は途切れた。無言のままターミナルビルを出ると、外はまだ薄闇の中だった。晩秋となって日の出の時間も遅くなってきている。
「前にお帰りになったときは、これぐらいの時間でも明るかったんじゃないですか」
空を見上げて、尋道がつぶやいた。静の前回の帰国は六月の初旬だった。尋道の言ったとおり、明るかったし、何より、暑かった。
「ああ。レザネフォルと比べると、朝でも蒸したでしょうね」
静の述懐に、尋道は何度もうなずいている。
「本当に。大違いです」
「夏の西海岸は、特に過ごしやすい、って聞きますね。時差さえなければ、僕も、いつか行ってみたいんですが」
「お姉ちゃんが迎えに来てくれたときと全く同じ発言だ。美鈴さんに、むちゃを言うんじゃない、って叱られて」
尋道は喉の奥を鳴らしている。
「お姉ちゃんが郷本マネージャーさんを重宝してるのは、今みたいな似たり寄ったりの部分があるからだったりして」
「心外な言われようですね」
それは、まんざら冗談でもなさそうな表情に見えたことである。




