第三八五話 さかまく火群(一五)
ドライブを終えた日の就寝間際だ。海の見える丘の四人は、寝間着姿で洗面室の中と外にたむろしている。手には歯ブラシ、平日なら二回、休日なら三回の恒例である。
「そうだ。お姉さん」
散開の直前に春菜が言った。
「元旦に、舞浜F.C.の練習グラウンドに行ってましたよね」
「言ったね。寒い中を」
「次の日曜日に、案内していただけませんか」
「いいよ」
「伊央さんと会います」
麻弥と佳世が足早に立ち去ろうとした。気を使っていたとみえ、帰宅後も日中の二人の動向について、一切、触れてこなかった二人だ。ここでも、すわ、大事、と逃げだそうとしたのである。
「もう大丈夫ですよ。どうやらいい人みたいなので、しばらく付き合ってみることにしました。そのうち、あちらが飽きると思いますが、それまでは貴重な経験を積ませてもらいます」
なんたる物言いか。麻弥も佳世もほうけている。表情の選択に困っているのだ。
「孝子。『いお』って、サッカーの?」
「そうそう。で、随分と乙な場所での逢瀬だね」
「違います。伊央さんも、トレーニングデートと勘違いしているみたいですけど、ちょっと稽古をつけてやろうと思いまして」
風向きがおかしい。春菜は続ける。
「あの人、アジア予選だかのころって、めっぽう下手だったじゃないですか。そこを、改善してやりますよ」
「でも、伊央さん、ユニバースの得点王になっただろ」
「あれは、あの人がすごかったんじゃなくて、アシスト役の二人、奥村さんと佐伯さんがすごかったんです」
活躍の原因は、伊央の特性を把握したアシスト役の貢献にあった、とは春菜の分析だ。
「佐伯のたっちゃんが取説を見つけた、みたいなことをもっさんが言ってたね」
「なるほど。ばかとはさみは使いようを地でいったのは佐伯さんでしたか」
「こら」
麻弥の叱責にも、春菜はどこ吹く風の顔をしている。
「あの人にイージーミスが多いのは、運動能力がお粗末だからです。逆に、速く走ったり、とか、高く飛んだり、とかいった身体能力への依存が大きい行動は、世界屈指と褒めてあげられますよ」
よって、運動能力が関与する余地のない、身体能力頼みのプレーをお膳立てできれば、伊央は真価を発揮する計算になる。この公式を発明し、うまく運用してのけたのが佐伯なのだ。全く孝子にはぴんとこない話だが、春菜の見立てが「そう」なら、「そう」なのだろう。
「ただ、全力でのプレーにはけがのリスクが伴いますので、もっとスマートにプレーできるよう、調整します。あの人なら七掛けでも、有象無象には負けません」
「お前、サッカー、できるの?」
「体育の授業でかじった程度には」
「おい」
「サッカーを教えるわけではないので、問題ありません。私が教えるのは体の使い方です」
「まあ、それなら……」
「見ていてください。カラーズのためにも、世界最高峰のフォワードに育ててみせますよ。で、海外のチームに出荷して、手数料でうっはうはです」
「カラーズのため?」
「伊央さん、カラーズに加わるそうで」
麻弥の視線が孝子に向けられた。
「うん。入りたい、って言うんで。今は、相良先生に契約の研究をお願いしてるところ」
「へえ。そうだ、孝子。春菜は、お前の紹介で男の人に会う、って言ってただろ。お前、伊央さんと、いつ知り合ったの?」
春菜が明かした以上は、隠し立てを続ける必要もなかった。佐伯の仲介依頼に始まった流れを、孝子はかいつまんで話した。
「なんで私にも教えてくれなかったんだよ」
プロサッカー選手の車選びを見たかったのに、と身勝手な理由でむくれた車好きが文句を付けてきた。
「契約に関係のない人間を連れていけるわけないでしょう」
「そうだけど……。伊央さん、ワタゲンで何を買ったんだ?」
「わからない」
「わからない、って。お前たち、今日、乗ったんだろ」
「名前が、わからない。とにかく大きな車だったね」
「ジュノー?」
孝子は失敗を自覚した。伊央の車の話など、するのではなかった。マニュアルトランスミッションの操作が好きなだけの孝子と、広範な車好きの麻弥では、こういうときに全くかみ合わない。
「人の車の名前なんて、いちいち覚えてない」
「写真は?」
「私が撮ってるわけないじゃない。麻弥ちゃん、いい加減にして。おはると伊央さんの話なのに、一人で車の話ばっかり。わきまえて」
「あ。ごめん……」
「正村さんは私のことなんてどうでもいいんですよね」
「違うって……。もう、ごめん、ってば」
にやにやと体を押し付けて圧迫してくる春菜に、麻弥はしがみついてわびている。丸く収まったようで、誠に結構だ。あとは、ぶり返さないうちに寝るのみだろう。




