第三八四話 さかまく火群(一四)
春菜と伊央とのドライブに孝子が付き合う、その日となった。昼下がりに神奈川ワタナベ海の見える丘店を訪ね、納車に立ち会う。その後のドライブは、高速を使って東京空港までの往復コースを走る予定だ。人も車も慣らしの期間である。長い距離はいらない。
「もう。今日も二人きりでお出掛けですか。どこに行くんですか。私も交ぜてくださいよー」
先週の国府行き以降、妙な親密を保っている孝子と春菜に、ついに佳世が突っ込んできた。行き先を告げず、出掛けようとした矢先に、玄関で二人まとめて捕らえられた。
「駄目」
「えー」
「えー、じゃない。一度で聞き分けて」
漏れ出した重低音に、佳世はさっと引いた。
「じゃあ、行ってくるね」
「……歩きか? 送ろうか?」
麻弥が飛び出してきた。二人が車の横を通り過ぎたのを見ていたのだ。佳世の姿はない。孝子の怒気に触れて、恐れをなしたに違いない。
「いいよ。すぐそこだし」
「駅か? 下まででもいいけど」
「正村さんも気が利かないですね」
返したのは春菜だ。
「え?」
「お姉さんの紹介で、私、男の人と会うんです。正村さんだって、ちょっとそこまで、とか言って出ていくことがあるじゃないですか。あれは、剣崎さんと会うときですよね。似たような経験がおありなんですから、察してくださいよ」
「あ、ああ……」
「じゃあ、行ってくるね」
麓へと続く並木道の半ば辺りまで下ったころだ。春菜がジャケットのポケットをまさぐって、スマートフォンを取り出した。
「電話、かけてきましたけど」
「遅刻かな?」
応対した春菜が、なぜか鼻を鳴らした。
「お姉さん」
「なあに?」
「あそこ」
春菜が指した眼下を見ると、神奈川ワタナベ海の見える丘店前の歩道に人の姿があった。手を振っている。伊央健翔のようだ。振り返してみると、いっそう大きく彼の手が打ち振られた。間違いなかった。
「いいね。明るくて」
「あの人なら、いくらでも女の子なんて引っ掛かるでしょうに、こんなおかめを。目が腐ってるんじゃないですか」
「かわいいを連呼してたよ」
「やっぱり腐ってますね」
「そういう性格もかわいいらしい」
「頭も腐ってる、と。ああ」
うめきに、孝子は春菜の横顔を見た。
「どうしたの?」
「そういえば、斎藤さんに、あの人を紹介する、って前に言ってしまってまして」
「大丈夫。私と斎藤さん、そんなに変わらないでしょう。肉付きは、あっちのほうがだいぶいいけど、それ以外は」
「どちらかになれるなら、私はお姉さんになりたいですけどね」
うなずき、春菜の頭をなで回す。
「で、伊央さんは私に、守備範囲外、って言ったからね。私が守備範囲外なら、斎藤さんだって守備範囲外でしょう。どうせ断られるんだし、無駄は省こう」
「えっ? あの人、そんな失礼なことをお姉さんに言ったんですか!?」
「言った。言った。とんでもない男だよ。あああー!」
なんと伊央が坂道を走って、こちらに向かってきているではないか。
「おはる。逃げるよ」
「わかりました」
くるりときびすを返した二人は来た道を走って戻った。無論、一人の足弱のせいで、逃避行は長続きしなかったが。
「こらー。なんで逃げるんだよ」
さすがにプロサッカー選手の走りだった。軽々と二人に追い付いた伊央は破顔している。
「ちょっと待ってください。お姉さんが大変なんですよ」
一方、わずかな距離を疾走しただけなのに、息も絶え絶えとなっているのが孝子だ。
「運動と縁のなさそうな顔してるもんな」
「……うるせえ。おはると破局させるぞ」
「おはる、って呼ばれてるんだ。かわいいな。俺も、おはるちゃん、って呼んでいい?」
「冗談じゃありません。絶対に駄目です」
「二人だけで盛り上がるんじゃねえ。吐きそうな人がいるんだぞ」
「どれ。おんぶしようか?」
「背中に、げろを吐いてやる」
初手からこのありさまだ。抜群の相性と評してよかった。そして、この分では、続くドライブも騒々しいものになるのは、ほぼ確定的だった。




