第三八三話 さかまく火群(一三)
それは、一〇月に入って最初の日曜日の早朝に起きた。というか、起こした。山梨県国府市へたとうとする春菜の車に、孝子は予告なく飛び乗った。春菜の国府行きは、神奈川舞姫の参加予定者のうち、前所属チームを戦力外となった社会人四人の自主トレーニングを監督するためのものだ。国府で励んでいるのは、元国府電気ハーモニーズの青山多恵である。
「暇つぶしに連れていって」
「わかりました。では、行ってきます」
あっけにとられている見送りの麻弥と佳世を尻目に、春菜は車を発進させた。各地への巡回に使う、と実家から借り出してきた巨大な白いセダンだ。
海の見える丘の長い坂道を下り切っての信号待ちで、春菜がぽつりと言った。
「お姉さん。何か、あったんですか?」
「うん。おはると二人きりでしっぽりした話をしようと思って」
「およそ、お姉さんのせりふとは思えないんですが」
信号が青に変わった。春菜が左折を完了したのを見計らって孝子は応じた。
「伊央さんとのドライブ、どうするの?」
はっと春菜は目を見開いた。実は、孝子、昨夜に伊央から、、納車日が決まった、と連絡を受けていた。八日後、来週の日曜日だ。発注後、三週間は、まず標準的な納期か。快活な伊央は春菜へのアプローチも完了していた。返事はまだないそうなので、いらぬお節介を焼こう、というのが孝子の挙の理由であった。
「あの人、お姉さんにすがってきたんですか?」
春菜はいぶかしげな顔つきだ。この手の話題との距離が遠大な女、と孝子が認識されている故だろう。それが、唐突に話題の上せてきた。警戒するのも当然といえた。
「一回は、ね。でも、すぐに取り下げて。そのさまが、さっぱりしてて、いいな、と思ったんだ。ちょっと、お勧めしたくなった」
「詳しく伺ってもいいですか?」
「いいよ」
二週間前の邂逅を、ざっくり孝子は語った。
「ははあ。お姉さんのお墨付きとなると、あまり邪険にもできませんね」
「邪険にしたっていいよ。無理する必要はないの」
「いえ。明るくて、嫌みのない、いい人だとは思ってましたけど。若干、顔が」
孝子は伊央の風貌を思い起こそうとして断念した。背が高かった、以外の情報が全て欠落している。スマートフォンを取り出し、伊央の名で検索した。
「あ。この顔、この顔。なんだ。かっこいいじゃない」
画面に映る荒武者然とした顔に、孝子は称賛を送った。
「お姉さん。あの人に会ったんじゃないんですか?」
「会ったけど、忘れてた。要するに好みの系統じゃないのね」
「そうですね。高望みは承知で、奥村さんの顔が好きです」
「奥村の紳ちゃんか。もっさんや佐伯のたっちゃんが言うには、とんでもない唐変木らしいけど」
「それは、身をもって」
ユニバースのときである。写真を一緒に撮ってほしい、と依頼するも、完全に無視された経験談だった。孝子の関係者と名乗って以降は対応が一変した事実も合わせ、春菜は語りに語っている。
「未練たらしい男」
「いえ。仕方ない、と諦めていらっしゃいましたよ」
「でも、静ちゃんに尻尾を振ってたんでしょう? それが未練たらしいの。諦めた相手の妹なんだよ。おはると同じ対応でいいじゃない」
「……世界広しといえど、奥村さんを、そんなふうに言えるのって、お姉さんだけでしょうね」
「関係ないよ。私の言ったことを一回で聞かないやつは、誰であろうと許さない」
「私も、お姉さんのお勧めを拒否したら、有罪ですか」
「言い付けじゃないし、大丈夫」
高速の直前だ。春菜がウインカーを操作した。コンビニの駐車場に車を乗り入れた。
「お姉さん。電話、いいですか」
「うん」
うなずいて、孝子は車外に出た。人の話を聞く趣味はない。そのままコンビニの店内に入り、ぶらりと一周した後、茶を二本買って、車に戻った。
「お姉さん」
通話は終わっていた。
「何?」
「来週、予約です。伊央さんとドライブに行きます。一緒に来てください」
「は?」
「何しろ、この分野は暗いもので。適切な助言をいただける人に、そばにいていただけると、すごく安心です」
暗いことにかけては、孝子とて負けていない。興味がないせいもあって、男女交際の経験は皆無だ。助言を求める相手としては、明らかに不適といえる。
「間違いなく、頼りにならないよ」
「かわいい妹分の頼みですよ。快く引き受けてください」
「かわいい妹分とやらは、どこにいるのかね?」
「ここです」
「見当たらんなあ」
あっはっは、とわざとらしい笑声を上げながら、まあ、いいか、と孝子は考えている。そもそも誘われない、という前提はさておいて、これが麻弥と剣崎の組み合わせあたりだったら、断然拒絶だが、春菜と伊央ならば、少し興味があった。変わり者と快男児は、どのような掛け合いを披露してくれるだろうか。見物してみるのも悪くなさそうであった。




