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未知標  作者: 一族
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第三七八話 さかまく火群(八)

 午後一一時を周り、寝床に入ろうか、と考えていた孝子に、エディ・ミューア・ジュニアからの電話だった。無視しようか、とも一瞬は思ったが、義妹の世話になっている家の人である。気付いてしまったのが運の尽き、と諦めるしかなかった。

「おはようございます、エディさん。随分と、早いですね」

 日本の夜中はレザネフォルの早朝である。

「学習しました。これぐらいの時間が、一番、タカコサンに連絡が取りやすいんですよ」

 マナーモードが常で、着信を確認する頻度も低い孝子には、目の前にスマートフォンがある可能性の高い時間を見計らって電話をかければいいわけだ。

「どうなさいましたか?」

「アートの歌ですが、いよいよ配信します」

 アーティ・ミューアの、アーティストデビューに備えた楽曲のレコーディングは、昨年の一二月に行われた。本来ならば配信は二月に開始される予定だったのだ。しかし、まさに、その時期に、アーティがトラブルを起こした。女子テニスのオーストラリア選手権に出場する親友、ダナ・ドアティの試合への介入、という軽挙であった。しかも、決勝の舞台で、だ。いかにもまずかった。楽曲の配信を控えての売名行為と取られかねない危険があった。延期はやむなし、といえた。あれから半年余りがたっていた。ほとぼりもさめたころ、とエディは判断したのだろう。

 ――もちろん、それも、あったが、それだけ、でもなかった。「ワールド・レコード・アワード」だ。アメリカ国内の権威ある音楽賞は、今月末までに発表かつ登録された楽曲が、今年の審査対象となる旨を定めている。

「一〇月の配信にしてしまうと、来年の審査まで間が空き過ぎて、賞への影響がほぼゼロになってしまうんですよ」

「そうですか」

「タカコサン。ノミネートされたら、こちらに来てくれますか?」

「エディさん」

「はい」

「日本には、こういうことわざがあるんですよ。来年のことを言えば鬼が笑う、って」

「鬼? どういう意味なんですか?」

「不確かな未来を、あれこれ論じる滑稽さは、恐ろしい鬼だって笑ってしまうようなものなのですよ、って意味になりますね」

「ははあ。でも、今回の場合は、そのことわざには当てはまらないですね。素晴らしい楽曲ですし、ノミネートの可能性は十分です」

 孝子の顔には渋い笑いだ。配信するという楽曲は、孝子の作のはずだ。

「ミスター・エディ」

「はい」

「今、おっしゃったみたいなのを、日本語だと、なんて表現するか、お教えしましょうか」

 ここまでの通話は日本語で行われている。エディは、かなり巧みな日本語話者なのだ。

「難しい言葉ですか?」

「おべんちゃら、っていいます」

「おべんちゃら?」

「お世辞の中でも特に心のこもらないお世辞、みたいな意味ですよ。そうだったでしょう?」

「いいえ。自信があります。タカコサン。賭けをしませんか」

 苦笑が返ってくる、と思いきや、エディは得々とした調子だ。しつこく否定するのもはばかられる、か。

「いいえ。賭けをするまでもありません。本当に『ワールド・レコード・アワード』にノミネートされたら、アメリカに行きますよ。ノミネートの権威をおとしめるようなまねはしません」

 根底には、されるわけがない、といった確信があった。そう甘くはない。

「おお! タカコサン、お待ちしてますよ!」

 おめでたい男だ、とは思うが、やぼは慎み、孝子は話題を変えた。

「エディさん。配信は、いつ?」

 九月も半ばだ。一〇月まで、いくらも間はない。プロモーションに時間はかけないのか。

「ええ。今回は電撃的にやります。来週の土曜日、午前零時予定なので、日本では同じ日の昼間かな。ミュージック・ビデオに力を入れたので、ぜひ、見てやってください」

「もちろん、買いますよ」

「ありがとうございます。やあ。それにしても、タカコサンがいらしてくれる、と約束してくれて、本当によかった。おもてなし、期待していてくださいね」

 エディに、捕らぬたぬきの皮算用、ということわざについても講釈を垂れてやろう、と考えた孝子であったが、やめた。そろそろ眠くなってきた。愚にもつかない話を、これ以上、長引かせるがごとき行為は忌避すべきであった。

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