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未知標  作者: 一族
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第三七五話 さかまく火群(五)

 神奈川舞姫の企業説明会が無事、完了し、ほっと一息ついていたカラーズに、一仕事が舞い込んだ。受け付けたのは尋道だった。就寝前のひととき、自室でぼんやりとしていたところに、友人、佐伯達也からのメッセージが届いた。折り入って相談がある、電話を入れてもいいか、と記されている。構わない、と返すと、即座に電話がかかってきた。

「どうしました?」

「やあ。夜分遅くに、ごめん、ごめん。ちょっと、困っててね。手を貸してもらえないか、と思って」

「どういった話です?」

 前置きとして説明されたのは、奥村紳一郎の移籍話だった。U-23サッカー日本代表チームをユニバースのブロンズメダルに導いた立役者は、その実績を引っ提げて、イギリスはマージーサイド州ベアトリス市を本拠に置くベアトリスFCと巨額の契約を結ぶ、のだそうだ。

「ニュースにはなってないみたいですね」

 尋道はスマートフォンを片手に持ったまま、タブレットを操作して、ざっとニュースサイトを確認した。奥村に関する報道は見当たらなかった。

「ない、と思うよ。日本人で確実に知ってるのは、奥村君のお母さんでしょ、僕でしょ、もっちゃんでしょ、郷本君でしょ。四人だけ。あの人、実は、F.C.との契約が今日までで、明日の朝にはベアトリスに行っちゃうんだけど、それすら、F.C.に伝えてないんだよね」

「けんか別れ、なんですか?」

「いや。契約が満了した後のことを、わざわざ教える必要はない、って。すごくドライなんだ。あの人」

「ほう」

「そのドライさのおかげで、僕が、困ってるわけだけど。順序立てて話すよ。聞いて」

「わかりました」

「知ってるかな。あの人、すごいお母さん思いで」

 母子家庭に育った奥村の、母親に対する孝行の念は極めて強い。母親に報いるには大金が必要になる、とは彼の強い信念だ。舞浜F.C.のみならず、日本のチームが払えるサラリーでは、全く足りない。海外に行くしかなかった。今回の移籍劇は、より高い報酬を求めてのものなのだ。

 一方、孝行息子の立場とすれば、最愛の母親と離ればなれになる海外への移籍はつらい選択だった。同伴の願いは海外生活への不安を理由に拒絶されていた。それどころか、できれば行ってほしくない、とも言われたそうだ。だが、母親のためには行かねばならぬ。断腸の思いでたつ彼が、後事を託したい、と頼ってきたのは、ほぼ唯一といっていい友人の佐伯だった。

 佐伯は奮い立った。今を去ること九カ月前、彼が当時のU-22サッカー日本代表チームへ参加を決めたのは、奥村にユニバースの好成績を手土産として持たせ、海外へと送り出してやろうではないか、という意気込み故だ。当然、任せてくれ、と力強く請け負った。

 ところが、だ。佐伯は気付いた。万遺漏なく奥村の願いに応えるべく、声を掛けた恋人の基佳が、何やら怒り心頭に発していた。

「小早川さんが、なぜです?」

「うん」

 基佳の立腹の原因は、奥村が舞浜F.C.に「移籍金」を残していかないことにあった。ここでいう「移籍金」は、契約期間中の選手が移籍する際に、移籍先から移籍元のチームに支払われる「契約解除金」を指すのだが、

「契約が切れた後の移籍なら、解除金が出ないのは、当たり前でしょう。小早川さんが、何について怒っているのか、わからないのですが」

「まあ、そうだね」

 と尋道が発した問いに対する、佐伯の歯切れの悪い説明は、こうだった。旅立ちのときは自らを育んでくれたチームに「移籍金」を残すべき、と選手に求める声があるのだ。同時に、チームに対しても、あたら有望な選手をただで外に出すような愚挙は厳に慎むべし、との批判がなされるらしい。

「面白いですね。契約が成立している以上、当事者同士は納得ずくのはずなのに。関係のない小早川さんが熱くなって」

「まあ、僕も、そう思うんだけど」

 ここまでだった。サッカーに思い入れのない尋道では、基佳の熱情は推し量れない。無理をしても、いびつな理解となる。触れずに、佐伯の相談に対するのが吉だろう。基佳の代わりに奥村の母を見守る手伝いをしてほしい、という相談に、だ。

「いいですよ。やりましょう。ただ、先方は女性です。僕たちだけでは不足の場面があるかもしれませんね。カラーズで受けます。実費ぐらいは払ってもらいますよ」

「本当に!? 大丈夫。郷本君にもお礼はするつもりだったし。払う。余裕で払うよ。いや、実は僕も、女性同士、神宮寺さんにお願いしたほうがいいかな、とは思ったんだよ。でも、もっちゃんが怒ってるし、味方されちゃって、話を聞いてもらえないかも、なんて思って」

「それは、ないです」

 言下に尋道は否定した。

「そうかな」

「そうです。どちらも、義理や人情に根差した行動なんでしょうが、今回なら神宮寺さんは必ず奥村君に付きますよ。あの人は、そういう人です」

 孝子が芸名として使用する岡宮鏡子の名を、尋道は脳裏に浮かべていた。彼女の亡母、岡宮響子と同音異字にした理由は、思慕の念の発露とみてよいだろう。そんな鏡子の孝子は、奥村が抱く母への崇敬に、きっと感応する、と思えるのだった。

「わかった! お願いします!」

 孝子たちに図った上で、今度は、こちらから連絡する、と告げて尋道は佐伯との通話を終了した。早速、と動きかかるも、眠い。机の上の時計を見ると「22:56」とある。

 ……明日でもいいだろう。このときの尋道は、彼の心身が発した生理的欲求に忠実であることを選んだのであった。

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