第三七一話 さかまく火群(一)
ユニバースの閉幕から一週間余りが過ぎた。今、ちまたに漂っているのは熱狂の残滓のはずだが、それでも高温だ。見渡せば、ユニバースで名をはせた英傑たちが、ここぞとばかりに書き入れ時を満喫している。
そんな中にあって、全日本女子バスケットボールチームは、おとなしい。どころか、他の競技と比べたとき、昔語りをされるぐらいに注目を失っている。理由は偉業の中核を担った者が表舞台に出てこないためだ。北崎春菜である。前期に取り逃した大学の単位を挽回すべく、レポートの作成に全力を挙げていた。実力、個性で他を圧する春菜の不在は、女子バスケットボール界の痛恨事となった。春菜に次ぐ実力者の神宮寺静か市井美鈴がいれば、少しは違ったかもしれない。しかし、折あしく、二人は再開したLBAのシーズンに参加中だった。他のメンバーにブームを維持するだけのスター性を持った者はおらず、こうして万事は休したのであった。
あいにくの結果とはいえ、界隈が平時に戻りつつある以上、神宮寺孝子たちの生活もまた平時へと戻っていくのは、自明だ。海の見える丘に四人そろっての淡々とした明け暮れが戻ってきた。
「お。小早川」
昼の食卓を囲んでいたときだ。正村麻弥がつぶやいた。視線の方向を見ると、家の前の駐車スペースに青い車がバックで入ってきていた。
「ああ。あれなの? もっさんに薦めた車って」
「そう」
立ち上がった麻弥がLDKを出ていった。どちらがついでかは知らぬが、出迎えて、小早川基佳の新車を検分するのだろう。車好きな麻弥なのだ。
「そうだ。お姉さん。ご都合がよろしければ、近いうちに私の実家まで乗せていっていただけませんか」
春菜が言った。
「いいよ」
「年度いっぱいぐらい、親の車を借りようと思いまして。表にとめてもいいですか?」
「いいよ」
「今、雪吹君が巡回しているじゃないですか。あれに、私も参加しようと思いまして」
来年度からの発足が決まっている神奈川舞姫の参加予定者のうち、社会人四人は、前所属チームを戦力外となった人たちだ。舞姫の選手獲得を請け負っていた山寺和彦に推されたことで敗者復活を遂げた。とはいうものの、一度は員数外の烙印を押された程度である。幸い、社員としての身分は残っている彼女たちだ。山寺の尽力で前所属チームの施設を使える許可も得ている。舞姫の始動まで、油断なく鍛錬に相務めさせるため、各地に出張して彼女たちを監督する、という活動を、現在、一手に引き受けているのは雪吹彰だ。そこに春菜も加わるのである。
「じゃあ、早いほうがいいのかな」
具体的な日程を、となったところに、どやどや麻弥と基佳がLDKに入ってきた。
「もっさん。車、買ったんだね」
「そう。昨日、納車。F.C.のチームカラーと合わせたウルトラマリン! 神宮寺さんの車もウルトラマリンだよね。もしかして」
「関係ないよ。あの車を買ったころの私は、舞浜F.C.のチームカラーなんか知らなかった。で、ドライブにでも連れていってくれるの?」
「いや。ちょっとカラーズさんにお願いがあって、慣らし運転ついでに来たの」
「何?」
「シアルスの取材が決まったんだけど、その前のあいさつをさせてほしいのと、あとは、川相さんに口添えをお願いしたいな、って」
アメリカに渡り、アメリカプロ野球のシアルス・ウイングスと契約した川相一輝は、ここまで異次元の活躍を見せていた。同時に、日本時代に悪名の高かった朴念仁ぶりも、異次元の領域に入っていた。オフィシャルの会見でさえも、ほとんどしゃべらない。通訳氏が意訳で乗り切るのは、しょっちゅうだ。それでは、日本語の話者ではどうか、というと、こちらは輪をかけてひどくなる。そもそも、高校時代にスーパースターと認識されたときから彼の伝説は始まっていた。当時、大いに注目された高校卒業後の進路は、いつの間にか高鷲重工硬式野球部を選び、入社していた。三年たつと、これも、いつの間にか高鷲重工を退社し、アメリカに渡ってしまった。倫世の言った、自分の人生に無関係と見定めた相手には冷酷、は誇張のない事実といえた。徹頭徹尾の無視である。そして、そんな難物との唯一の窓口がカラーズなのだ。シアルス行きに際して、基佳が仁義を通してきたのは、うなずける話であった。
「わかった。伝えておくよ」
「ありがとう!」
「いつ、向こうに?」
「明日の飛行機」
「早いな。それじゃ、こき使うわけにもいかない」
孝子は軽く舌打ちした。
「どんなお話?」
「おはるがね、舞姫に参加する人たちの練習を見て回るのに、実家の車を使わせてもらおう、って言って。で、もっさんには、慣らし運転を延長して、運転手をさせようか、と思ったの」
「大丈夫。行こう。北崎さんは緑南市だよね。今日中には帰ってこられるよ」
基佳の濃い眉がつり上がっている。
「まずい。この女、やる気だ」
「準備しな」
「おはる。どうする?」
「望むところです」
「仕方ない。麻弥ちゃん。ちょっと行ってくるよ」
「いや。私も行く。運転したい」
急な展開に目を丸くしていた池田佳世も、自らを指さして名乗りを上げてくる。
「もっさんの車って私のやつと、そんなに大きさ変わらないよね? 前に向こうに行ったときも、五人はいいかげん狭かったのに。今回なんて、大女が三人だよ。四人で行って」
「誰が大女だ」
麻弥は口をとがらせたが、一七八センチの本人、一七九センチの春菜、一八九センチの佳世は、大女の資格ありだ。一七二センチの孝子と一六六センチの基佳も、日本人の平均身長に照らし合わせれば、大女の範疇に片足を突っ込んでいる。この五人で、さして大きくもない車への同乗は、まず、避けておくのが無難、といえただろう。




