第三六二話 祭りばやし(二一)
前半を終わって五〇対二九のスコアは、全日本女子バスケットボールチーム以外にとって、想定外の事態であったろう。バルシノ・アレナのざわめきは収まらず、スピーカーを通じて地鳴りのような現地の音が伝わってくる。
「やった……!」
重工体育館のアリーナにも喧噪は移っていた。雰囲気に乗せられた麻弥が叫ぶ。
「まだまだ。でも、ここまで悪くないね」
「うん! いける!」
「ケイちゃん。眠い。気付けにコーヒー飲みたい。おごって」
眠い、以前の話だ。途中から試合そっちのけで、ほとんど眠っていた那美がしなだれ掛かってきて、孝子の耳元でささやいた。
「那美は、どうした?」
「気付けにコーヒーが飲みたい、って」
「行こうか」
腰を浮かしかけた麻弥を尋道が制した。
「僕が行きましょうか。一人でいいですよ。万が一、知った顔に出くわしたら、説明に困りますので」
「じゃあ、私が付いていってあげる。私のこと、ここの人は誰も知らない。ついでに目覚ましするよ」
「どうですかね。神宮寺さんと那美さんは、ぱっと見た感じ、結構、似ていると思うんですが」
「二人ともマッチ棒みたいだしね。行こーう」
引く気はなさそうな那美を、尋道は渋々と連れて二階席を出ていった。一階、カフェラウンジの自動販売機に向かうのだろう。
聞き覚えのある声がアリーナに響いた。孝子はスクリーンに視線をやった。マイクを手にした小早川基佳の姿があった。隣には春菜が立っている。「小早川組」の顔として現地入りしている基佳は、対全日本と対U-23チームの取材で大活躍中だ。両チームが抱える偏屈者の大エースに、唯一、コンタクトできる人材として重宝されているのだった。
「そういえば、向こうにいるもっさんを見たのは初めてだな。ちゃんとやってるみたいじゃない。感心、感心」
「昨日も映ってたぞ」
昨日、とはU-23チームが挑んだサッカーの三位決定戦を指す。彼らが見事に勝利し、ブロンズメダルを勝ち取った試合を、孝子は見ていない。眠っていた。
「全日本とU-23を追ってたら、あいつ、ちょこちょこ顔を出すだろ」
「知らないなあ」
「お前、本当に見てないんだな」
「そうなりますなあ」
基佳のインタビューが始まった。
「どうやら、勝ったようですね」
開口一番に、春菜である。
「私たちが機先を制し、アメリカは全て後手後手に回っています。挽回は不可能でしょう。ゴールドメダルの報奨金って、いくらぐらいいただけるんでしょうね」
基佳は止まっている。春菜の、突飛な物言いには慣れつつあったのだ。あったのだが、慣れつつあっただけで慣れたわけではない。
「連盟だけじゃなくて、スポンサーさんの志も広く受け付けますよ。例えば、アウラさん。私、ミニバス以来、ずっとアウラさんのシューズを愛用してるんですよ。今回も、もちろん、履いてます。どうですか。一〇年来の付き合いですし、お小遣いを下さっても、いいんじゃないですか?」
名指しされたスポーツアパレルブランドの動揺はいかばかりであったか。
「北崎さん。これ、国営放送なんで。広告は基本的に駄目なんです。勘弁してください」
「広告ではありません。私がアウラさんにたかっているだけです。というわけで、アウラさん。よろしくご検討くださいませ。ではでは」
言うだけ言うと、にんまりとした春菜は、手を振り振り、スクリーンの外へと去っていった。
「ただいまー」
両手に飲料の缶を抱えて二人が戻ってきた。
「お帰り。ありがとう。郷本君、大丈夫だった?」
缶を受け取りながら孝子は尋道に尋ねた。
「ええ。ほら」
尋道が示したのはアリーナの最前列付近だった。黒須夫妻が周囲の人々と談笑している。
「大盛況ですよ。ここに来た人たち、黒須さんにあいさつをしないわけにはいきませんので。なんといっても、あの界隈の頂点付近にいる人ですからね」
「この分なら、あまり神経を使わなくてもよかったかな」
「万が一ということもありますし。時に、ざわついていましたけど、何かあったんですか?」
春菜のインタビューに違いなかった。顛末を語って聞かせると、尋道は苦笑いを浮かべる。
「あの人が、そう言った以上は、そうなるんでしょう。でも、余計な発言は慎んだほうがいいと思うんですがね」
尋道は、予言者を気取ったつもりではなかっただろう、が。
間もなく、後半の開始だ。




