第三五六話 祭りばやし(一五)
静と奥村紳一郎の、次なる邂逅の場は、選手食堂だった。日本棟の至近にある選手食堂で、全日本はアメリカ女子バスケットボールチームと食卓を囲むことが、選手村に入ってからの日課となっていた。気心の知れた静と美鈴の下にアーティ・ミューアが寄ってきて、始まった縁だった。
しかし、さすがに、この日の夕食で両チームは、意識的にお互いを避けた。はるかに離れたテーブルに着いている。明日の予選リーグ最終戦で激突するのだ。共に四連勝。グループAの一位と二位を決める試合である。
彼女たちに替わって、全日本に近づいてきたのは佐伯達也と奥村紳一郎、伊央健翔というU-23チームのでこぼこトリオだった。でこぼこの内訳は「でこ」が一八八センチの奥村と一九二センチの伊央で、「ぼこ」が一六七センチの佐伯となっている。
美女ぞろいと評判の全日本に会うことを励みにして、ここまで勝ち進んできた、などとほざいて、伊央が喝采を浴びる。彼は目下の得点王である。好調に、口も滑らかだ。そして、野性味のある風貌は、奥村とは方向性は異なるものの、紛れもなくいい男だった。そんな男に持ち上げられれば、全日本だって悪い気のするはずがなかった。
「両チームの前途を祈念して、乾杯しましょう!」
佐伯も加わり、全日本のテーブルは大騒ぎだ。
そんな喧噪の中、静は奥村と対面で座っていた。隣には春菜がいる。全日本のテーブルの端だ。佐伯の差配であった。奥村の興味は、見事に孝子一点張りだ。孝子の話題には食い付きも激しいが、ふと話題がずれて、二人の語りになったりすると、途端にしらっとした態度になる。あまりに露骨な、そのそぶりには、閉口するしかない。
「奥村さん。どうなるかわかりませんけど、口利きしましょうか?」
そろそろ夕食も終わりそうな、というタイミングで、静は声を潜めた。身を乗り出して奥村に顔を寄せる。
「何を?」
「お姉ちゃんに」
奥村の表情は、喜色、後、諦観、だったろうか。静の見立てだ。
「大丈夫」
「大丈夫、って。何が、ですか?」
「もう断られてるので。大丈夫」
えっ、と声が出た。想像が困難とか、そういう次元の話でもない。既に終わっていたとは。まさか、未練だったとは。
「ははあ」
絞り出すような声が、思わず出ていた。心底驚いた。この男を振るとは、わが義姉ながら、一体、何を考えているのやら。もったいない以外の言葉が浮かんでこなかった。
「お姉さんにはお姉さんの事情があるんですよ」
横から春菜だ。この言いようで静は思い当たった。
「もしかして、アレルギー?」
「ええ。気遣いを、するのも、されるのも、ってお断りしたそうですよ」
「春菜さん、知ってたんですか?」
「ちょっと、艶っぽい話になったときに、お話ししていただきました」
「そうだったんですか」
アルコールと塩に強い拒絶反応を示す体質の義姉だった。そこを持ち出されては、奥村としても身動きが取れまい。目の前の美丈夫の、なんと痛切な愁え顔であることか。
「あ。春菜さん。写真」
いたたまれなくなって、静は動いた。
「そうでした。奥村さん。こんな話の後で恐縮なんですが、さっきお願いした写真、撮っていただけますか?」
「いいですよ」
「ありがとうございます。静さん、お願いします」
渡されたスマートフォンを構えて、はい、チーズ、と言ったところに、高速で突っ込んできたのは伊央だった。二人の背後で、にこやかにピースサインである。
「あ……。春菜さん。伊央さんが入っちゃった」
「なんですか、あなたは。私は奥村さんと一緒に写りたかったんですよ。お呼びじゃありません。あっちに行ってください」
しっしっ、と手を振ってみせるとは、春菜もひどい。
「えー。俺とも一緒に写ろうよ」
伊央が陽気に応じる。厚かましい男、と思いきや、こちらの会話が一段落するまでは首を突っ込まず、別で盛り上げ役に徹したり、と分別がある。好男子だ。あまり邪険に扱うものでもない、と静は思った。
「じゃあ、こうしませんか。最初に奥村さんと撮って、その後、伊央さんと撮る、ってことで」
「静さん。私はこの人とは撮りませんよ」
「じゃあ、私も奥村さんとの写真は撮りません」
「なんで意地悪なんですか。まあ、いいでしょう。仕方ないので伊央さんとも撮ってあげますよ」
静の仲裁で、まずは春菜と奥村のツーショットの撮影が、滞りなく終わった。
「それじゃ、私はこれで」
春菜が、さっと身を翻す。背信だ。
「春菜さん!」
「おいー。ちょっと待てー」
春菜は逃げ、静と伊央が追う。早歩きで、ついには広い選手食堂の端まで行ってしまい、三人は大笑いだった。張り詰めたさなかに発生した、貴重な安息の一こまだった。




