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未知標  作者: 一族
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第三五四話 祭りばやし(一三)

 大学の考査期間が終了すると同時に、音楽家が出張ってきたようだ。神奈川舞姫の舞台演出である。孝子が考査に没頭している間、黙々と作業していたらしい。ここまでの成果を聴いてほしい、感想をもらいたい、都合はどうか、とマネージャーの尋道を通して矢継ぎ早の催促であった。

 うるさいな、と舌打ちをしかけて、とどまった。初めに声を掛けたのはこちらだった。考査に没頭するあまり、完全に失念していた。間を空けたことで、生来の横着がふつふつと湧いてくる。コンペティションなんて話もあった。プロなのだ。一人でやってくれていい。自分がごときアマチュアに、何を頼む必要があるのか。ひとしきり愚痴った後に、孝子は仕方なく動いた。夏季休暇に入ったので、いつでも大丈夫だ、と尋道に送り付けた。

 ならば明日にでも、と即座にメッセージが返ってきた。指定されたのはトリニティ舞浜ショールームだ。舞浜駅西口は、喫茶「まひかぜ」にも程近い場所にある。同じく指定の午前九時は、この類いの店を利用するには、相当に早い集合時間だった。シャッターが下りている。そのはずで、トリニティ舞浜ショールームの開店時間は午前一一時だ。

「親愛なるマネージャーやろうはどうしたんですか」

 先着していた長身痩躯と中肉中背の二人組に会釈しながら孝子は言った。剣崎と郷本信之だ。尋道の姿が見当たらない。

「専門家同士、よろしくやってくれ、だって」

 信之が苦笑で応じた。

「何を怠けてるの。あの男は」

 剣崎の先導で、孝子と信之は通用口からトリニティ舞浜ショールームに入った。バックヤードのエレベーターに乗って向かったのは五階だ。

 エレベーターを降り、店舗部分に出た。五階は音響関連を扱うフロアのようである。種々のシステムが所狭しと並べられている。立ち働くスタッフたちとあいさつを交わしながら、剣崎は奥へと進んでいった。壁際にある、この場に似つかわしくない「もの」が、彼の目指すところらしかった。

 プレハブ小屋だ。

「防音室だね」

「ええ。シアターシステムと組み合わせて、ホームシアターのデモルームになってるんですよ。ちょっと狭くて申し訳ないんだけど。どうぞ」

 中は四帖ぐらい、だろうか。ホームシアターのシステム一式が据え付けられていて、おまけに巨大なソファまである。ちょっとどころでなく、はっきりと狭い。

 孝子と信之はソファに腰を下ろした。

「練習用に、お一つ、どうですか」

 システムをいじりながら、剣崎が言う。

「あったら、いいよね。周りを気にせず音が出せる。でも、場所が、ね」

「これ、パンフレットとか、あります?」

「後でお渡ししましょう。じゃあ、始めます」

 音が鳴りだした。スクリーンには「舞姫メドレー」と出た。楽曲は五分ほどにまとめられていて、緩急自在に曲調が変化していく。剣崎龍雅、多彩に仕上げてきた。このメドレーとやら、果たして、どう使うつもりなのか。

「試合の全編を音楽で飾ろう、と考えているんですが、どうでしょう」

「ああ。さっきの中に、例えば、攻勢のときの楽曲、守勢のときの楽曲、みたいなものが含まれていたんですか?」

「そのとおりです。せっかくの劇場だ。あそこでしか味わえない観戦、観劇を売りにできたら、と考えてますよ」

 それをカバーするのが、メドレー中の楽曲というわけだ。

「いいですね。さすがは剣崎さんです」

「そう言っていただけると、うれしいですよ。次も、どうぞ」

 スクリーンに「舞姫クレジットタイトル」と出た。

 先ほどのメドレーがポップだったとすれば、こちらはクラシックだ。荘厳に始まり、壮麗に終わる感がある。舞姫の名に恥じぬ、といっていい。

「今のは、どう使うつもり?」

 演奏が終わって、信之が尋ねた。

「仮で、埋めたものがあるので。かなりでたらめなやつなんですが、構わないですか?」

「うん」

 この時点では、なんのことやら、さっぱりである。再び、楽曲だ。孝子は理解した。スクリーンでは「原作 剣崎龍雅」に始まって「脚本 剣崎龍雅」、「音楽 剣崎龍雅」――下から上へと流れていく。クレジットタイトルとは、そういう意味だったか。

「ほう。映画か」

「ええ。正式なやつでは、試合の前後に選手やスタッフ、スポンサーの名前を流してみては、どうかな、と」

「面白いね」

 最後に、もう一曲だ。

「これは、曲自体はどうでもよくて。俺の古い曲をあてがっただけ。見てほしいのは、映像」

 眺めていると、スクリーン上に、わらわらマネキンが出てきて、一斉に踊り出したのだ。

「あ。このマネキンに、麻弥ちゃんが頼まれたっていう下絵を当てるんですか?」

「そう。完成は、かなり精細になる予定で、これが、後々まで、いろいろ役立つはずですよ。例えば、グッズのキャラクターとしては、実際の人間よりも使いやすいと思うし、アバターとして、さまざまなシチュエーションで活躍させることもできますよ」

 正直なところ、剣崎が何を言っているのか、判然としていない孝子ではあったが、あのマネキンが楽曲に合わせて何かしてくれる、という一点だけには、いたく興味を持った。

 剣崎の発表は終わった。三人は防音室の外に出た。

「コンペで採用されたら、マネキンたちでミュージック・ビデオを作ってもらおう。ちょっと頑張ってみましょうか」

 宣言は、社交辞令ではなかった。心底、孝子は剣崎のアイデアに感服していたのだ。彼のようには、もちろんいくまいが、コンペティションに提出する楽曲を手掛ける気になっていた。

 帰宅後、孝子は直ちに作業を開始した。もっとも、速度は剣崎の万分の一程度なので、楽曲が日の目を見るのは、はるか未来の話であったが。

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