第三五〇話 祭りばやし(九)
「いよいよ祭りのシーズンの始まりね」
などと言ったのはみさとだった。シーズンの始まりを告げるのは、全日本女子バスケットボールチームが挑んだ世界最終予選会である。
世界最終予選会は、出場一二カ国を三つのグループに分け、それぞれの組の一位が「ユニバーサルゲームズ」の出場権を獲得する、という方式を取る。戦前の予想では、日本は一二カ国中でも最上位の実力を持つ、とされていた。しかし、どの組にも参加枠の多いヨーロッパ勢が二チームずつ組み込まれていて、これを不気味と捉える向きもいるようだ。日本と同組になったのはギリシャとイタリアである。ヨーロッパ選手権大会ではフランス、トルコ両強国の後塵を拝したものの、その差はわずかで、侮れない相手といえた。なんにせよ、熱い三試合になるのは間違いなかった。
全日本は第六次強化合宿を、決戦の地、スペインはバルシノ市で行い、調子は万全であるらしい。現地に飛んだ「小早川組」のレポートは充実している。
特に、一〇カ月前に静岡県静海市で行われた、バスケットボール女子アジア選手権大会を経験した者たちの意気込みはすさまじい。自国開催で屈辱の敗北を喫した、その汚名をそそぐときが、ついにやってきたのだ。さもありなん、であった。
「みんなで全日本を応援しようぜ!」
ぶち上げてきたのは、みさとだ。「中村塾」の結成以来、私たちも一緒に戦ってきた「同志」だ。「同志」たちの勝利の瞬間を見届けよう。遠い空の下からではあるが、精いっぱいの声援を送ろう。日本とスペインの時差は七時間だ。深夜の視聴になる。試合の行われる三日とも平日だ。しかし、そんなことは、この際、関係ないだろう。
「遠慮します」
真っ先に尋道が離脱した。そんな時間まで起きてられない。録画するので、お構いなく、だった。
「講義がある。考査も近いし。無理」
孝子も一歩を引いた。
「二人とも何を考えてるの! 静ちゃんが出るんだぞ! 市井さんも! ハルちゃんも! 須之内さんも! 池田さんも! カラーズの、舞姫の、仲間たちを応援しようよ!」
「うちでやります」
「私も」
「うそ! あんたたち、絶対に寝るだろ!」
「わかっているのでしたら、結構です。あなたにはなんでもないことでも、僕には大変な苦痛なんですよ」
「私も郷本君ほどではないけど、夜は弱い。学生の本分は勉強だよ。そこに影響が出るんだったら、忌避するのは当たり前でしょう」
尋道が冷然とした態度でみさとをひるませた後に孝子も追随した。さすがのみさとも、この連携にはかなわない。こうして孝子は世界最終予選会の応援を回避したのだった。
そんなやりとりのあった三日後の早朝である。午前五時半は、いつもの孝子の起床時間だ。着替えてLDKに向かうと、しばらくして外から車の音がした。駐車スペースにウェスタがバックで入ってくる。麻弥だ。彼女は、みさと、彰らと共に世界最終予選会を観戦するため、毎朝、ご苦労にもSO101に出向いているのだった。今日で三日目になる。
そのうちLDKの扉が開いて、麻弥が顔を見せた。
「やったな」
キッチンに突っ立っている孝子に気付き、にっこり笑い掛けてくる。
「何が?」
「何が、って……。まさか、結果、知らないのか!?」
「起きたばかりだよ」
「すぐにスマホを見たりとか」
「すると思うのか」
「しない、な。勝ったよ」
「それは、そうでしょう」
この日の未明、全日本は世界最終予選会グループAの第三戦に臨んでいたのだ。ギリシャ、イタリアを連破して、残すは実力差のある相手だった。ほぼ決まった、といっていい状況ではあった。
「うん。それにしても、圧倒的だった。全然、手に汗握れなかった」
昨秋からの異例ともいえる長期間の合宿「中村塾」で全日本女子バスケットボールチームは、その力を飛躍的に高めた。ユニバースの出場はもちろん、メダルさえうかがうほどだ。世界最終予選会は単なる通過点に過ぎなかった。
「実況の人が話してたけど、最終予選会って、ユニバースのプレ大会でもあったんだな。実際にユニバースで使う会場で試合したり。そこで、これだけの結果を出せたってことは、大きい、って」
「そう。朝は?」
昨日もおとといも同じ返事だったが、一応、聞いておく。
「朝は、いいや。仮眠する」
麻弥が食べないなら、自分一人のために朝食を作るのも面倒だ。立ったまま、トマト一個と牛乳一杯で手早く済ませる。
「お前、三試合とも見なかったな」
ソファに寝転がっている麻弥が言った。
「見なくてもわかる」
「どうわかる?」
「おはる大活躍」
「それはずるいぞ。まあ、実際、春菜はすごかったけど。あらゆる意味で」
「何か、やった?」
「やった。インタビューで――私たちは決勝トーナメントでアメリカと同じ山にならない限り、シルバーメダルまでは確定しているチームです。ここでつまずくわけがありません――って言った」
春菜の口調をまねた麻弥に、孝子は苦笑だ。
「あの子らしい」
「あとは、広山さんかな」
麻弥は語った。号泣し、ついにはインタビューを完了できなかったキャプテンの広山のことを。アジア選手権を戦い、そして、敗れた前の全日本でも、広山はキャプテンだった。この日の、そして、世界最終予選会の勝利をかみ締める思いは人一倍だったろう。
「泣いた」
「麻弥ちゃんでそうなら、斎藤さんはすごかったでしょ」
「すごかったな。ひどい顔だった」
涙もろいみさとの、崩れた顔を想像して、孝子はほほ笑んだ。同時に、思った。職を賭してまで、全日本の勝利を願った中村はどうだったろうか。井幡は。広山と同じ旧全日本組は。その人たちのありさまを見逃したのは、もしかしたら逸機だったのかもしれなかった。
次は、見てみようか。
「ユニバーサルゲームズ」の開幕まで、残すところ一カ月である。




