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未知標  作者: 一族
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第三四九話 祭りばやし(八)

 孝子は鶴ヶ丘の神宮寺「本家」にやってきた。金曜夜の今から日曜昼まで滞在するのが、ここ二カ月ほどの孝子の週末だった。赤柴のロンドと過ごすためだ。

 夕食、入浴を済ませた孝子は、あてがわれた書斎で机に向かっていた。足元にはロンドが丸まって眠っている。部屋には一人と一匹だけだった。普段、同室している二人のうち、麻弥は、明日、あさって、彰と共に巡回に出る予定があって、付いてこなかった。そして、那美は、あまりにも「本家」に入り浸り過ぎる、孝子がいるときぐらい戻れ、と両親の雷が落ちて、「新家」にとどめられている。ロンドの世話を、せっせと焼いてくれる義妹の不在は、孝子にとって痛恨事だ。かばえるものならかばいたかったが、巻き添えは嫌だ。見て見ぬふりしかない。

 不意に、ワン、と声がした。いつの間に動いていたのか、ロンドは書斎の隅に置いてあった孝子のショルダーバッグのそばにいた。

「どうしたの」

 近づくと、かすかに音がする。ショルダーバッグの中のスマートフォンが振動していたのだ。

「よく気付いた」

 しかし、取り出して、表示された名前を見て、舌打ちだった。

「なんだ。剣崎さんじゃない。犬、教えてくれなくてもよかったよ。うそ。ありがとうね」

 ロンドをなで回しながら受けた。

「こんばんは。何用ですか」

「こんばんは。今は、大丈夫ですか?」

「なんでしょう?」

 コンペティションの誘いだった。舞姫の舞台演出で使用する楽曲の制作を、音楽家は孝子に依頼してきたのだ。

「巻き込まないでくれませんか。二人でやってください」

 剣崎の彼女である麻弥が、彰と各地を回っているのは、恋人に舞台演出への協力を頼まれたからではないか。アニメーションの下絵に使う資料に、と選手たちの写真を、撮っては描き、撮っては描き、している。二人でやれ、とは、そういうことであった。

「いや。とにかく、いろいろな曲を使っていきたいと思いましてね。それも、他が使っていないような曲を。郷本さんにも参加してもらうんで、神宮寺さんも、ぜひ」

 言って、唐突に、剣崎がうめいた。

「郷本君に、先に言わないといけなかったのかな」

 剣崎が、郷本さんと言った場合は、郷本信之を指し、郷本君と言った場合は、郷本尋道を指す。それぞれ、孝子の音楽の師匠と、音楽家としての孝子の活動名である岡宮鏡子のマネージャー、という立場の人たちだ。

「あーあ。契約破棄」

「待って」

「冗談ですよ。でも、今後はあの人を通してくださいね」

 翌朝、孝子は「新家」を訪ねた。

「那美ちゃん。いるー?」

 朝食の時分で、一家がそろっているとみて、勝手口から声を上げた。

「何ー」

 那美がパントリーに顔を見せた。

「私、ちょっと出てくるの。犬、お願いね」

「そのまま帰ってこなくていいよ」

「那美!」

 美幸の怒声だ。

「そうなるかもしれないんで、犬、お願いね」

 孝子はそうそうに退散し、次に向かったのは郷本家だ。出てきた尋道に、舞姫と岡宮の件で話がある、と伝えると応接室に通された。列席を求めた信之も顔を見せた。

「どうされました?」

 運んできたコーヒーと茶菓子を各人の前に置きながら、尋道は孝子を見た。

「まず、剣崎さんなんだけど、舞姫の舞台演出に使う曲のコンペに参加してくれ、って私に直で言ってきちゃって」

「縁を切るんですか?」

 孝子が全幅の信頼を置く辣腕マネージャー氏らしい受け取り方であった。

「いえ。今後は郷本君を通せよ、と伝えたので、そのうち、連絡があるかもしれません」

「わかりました」

「それと、おじさまもコンペに誘われた、と伺いましたけど」

「うん」

 茶菓子の封を開けようとしていた信之の手が止まった。

「どうやら剣崎龍雅は、古めかしい楽曲が欲しいみたいだね。孝子ちゃんと僕なんて、まさにその部類だもの」

「はい」

「僕の書いた曲がトーアの劇場でかかるかも、って考えると、ちょっと楽しみだね。やってみるよ」

「あ。トーア。そうだ。郷本君」

「はい」

 孝子が語ったのは、ふと思い出した静からの依頼だ。彼女は、ユニバースでゴールドメダルを獲得した暁には、新舞浜トーアの劇場でザ・ブレイシーズのライブを開いてほしい、と言ってきていた。

「時期は、静さんがLBAのシーズンを終えられた後になりますでしょうね。トーアの開館前ですし、開催自体は、そんなに大ごとでもなさそうですが。父さんは、大丈夫?」

「トーアでやれる、っていうなら、行かない理由はないよ」

「わかった。じゃあ、その件も合わせて剣崎さんと打ち合わせをしておくよ」

 早速、と応接室を出ていくひょうひょうとした後ろ姿を、孝子は見送った。相変わらず見事なまでの話の早さが快く、また、頼もしかった。こうでなくては、と小さく黙礼である。

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