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未知標  作者: 一族
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第三四四話 祭りばやし(三)

 麻弥の気鬱は長引いていた。launch padの視察からはや一週間だが、一向に収まる気配はなく、ため息を連発している。尋道の周到さを思い知らされたのが端緒だ。翻って自分は、というわけだった。

 孝子は麻弥を戒めた。黒須との関係を切らさず、渡り合っていたことから派生した好機を、存分に利用した尋道の機転は、他がまねできる類いではなかった。彼の真骨頂と称していいだろう。比べるべきではない、と説いたのだ。まるで効果はなかったが。

 やんぬるかな。下手の考え休むに似たり、という。一通りの懐柔策が失敗した時点で、孝子は、この件に関して麻弥を切り捨てた。存念は伝わったようで、最近の二人は、一つ屋根の下に暮らしながら、互いを黙殺し合っているのだった。

 金曜の夜、舞浜大学千鶴キャンパスを出た孝子の車は、海の見える丘に向かっている。赤柴のロンドを迎えて以来、週末を鶴ヶ丘で過ごすのが、孝子の習慣になっていた。建て替えのために解体される「本家」の家財道具を片付ける目的もある。これには、毎度、麻弥も付き合ってくれていたが、今日は直行でいいか、と一瞬、考え、露骨過ぎる、と考え直していた。

 舌打ちだった。心根の優しいばかりと思っていた親友も、至近で面を付き合わせていれば、いろいろ見えてくるものだった。お節介が過ぎたり、立ち直りが遅かったり、持ち前の気質があらぬ方向にねじれたときが、とにかく面倒くさい。

 麻弥をくさしていて、ふと孝子は思い至った。今回の一件の下地についてだ。海の見える丘での共同生活が終わった後の話であった。片や自分は、春菜と佳世を引き連れ、神宮寺「本家」に移る。片や麻弥は、launch padの寮に入る。随分と寂しそうにしていた。そもそも気落ちしていたのだろうか。気に掛けてやったらよかったのだろうか。……いや。だいぶ先の話だ。孝子は大学を卒業するまで、海の見える丘を動く気はない。二年近くたって、ようやく訪れる別離である。理解不能だ。憐憫の情は、瞬時に霧散していた。

 海の見える丘の住まいに帰り着き、玄関を入った。と、麻弥が待ち構えていた。

「お帰り」

 朝までとは様相が一変している。心なしか、にやついているようにも見えた。何事か。

「ただいま。どうしたの。元気になって」

「うん。……いや、お礼、言わなくちゃ、って思って」

「なんの話?」

「え?」

 何か、麻弥の身に慶事が起きたらしい。そのことを、孝子が手を回した結果、と勘違いしたようだ。

「多分、私は関係ないと思うけど、取りあえず話を聞かせて」

 LDKに入ると、ダイニングテーブルには二人分の夕食が並んでいた。ここ数日は、孝子も麻弥も、めいめいで勝手に済ませていたので、一緒に食卓を囲むのも、しばらくぶりだ。それにしても、何が麻弥を激変させたのか。孝子は身支度も早々に席に着いた。

 剣崎だった。ホームアリーナ、新舞浜トーアで舞姫が試合を行う際の舞台演出を担当する音楽家が、麻弥に打診してきたのだ。演出の一環として使用するアニメーションの下絵を描いてほしい、と。舞姫の選手、スタッフ、その全員分は、なかなかボリュームのある仕事のようである。

「すごいじゃない! おめでとう!」

 孝子は身を乗り出し、両手を高く掲げた。麻弥も応じて、手のひらと手のひらが打ち鳴らされる。

「よかった。で、私が剣崎さんに、なんとかしてあげて、って頼んだと思ったんだね。私じゃないよ」

「そうか。てっきり、お前だと思ったんだけど。だって、ここのところ、私、外に出てなかったし。私が落ち込んでる、って知ってるの、お前だけだし」

「剣崎さんには、何も?」

「言ってないよ。恥ずかしいだろ。自分のぽんこつぶりにしょんぼりしてます、なんて」

「甘えたらよかったのに」

「嫌だ」

 にやりと見やると、麻弥はぷっと膨れた。

「意地っ張りめ。でも、本当に、よかったよ。あのまま、へこみっぱなしだったら捨てようか、と思ってた」

「私も、追い出されるかな、とか思ってた」

「いい巡り合わせだったね。剣崎さんのためにも頑張らなくちゃ」

「うん。これで、やっと、貢献できる。……でも、私なんかで大丈夫かな?」

「何を言ってるの。実力。剣崎さん、麻弥ちゃんの実力を買ったんだよ」

「そうかな?」

「そうだよ。あの人もプロ。いくら彼女がかわいくても、えこひいきはしない。そんなことしたら、自分が恥をかくし、ひいては麻弥ちゃんにも恥をかかせちゃうじゃない」

「そうかな」

「おっと。話に夢中で食べてなかった」

 麻弥が用意していてくれたのは、旬のサザエの、にぎり、刺身、吸い物、である。

「わざわざ私のために買ってきてくれたのかな」

「まあ。お前、旬の魚介って好きだしね」

「うむ。よし。続きは、食べた後にしようか。いや。食べた後に、ちょっと出て、甘味を買ってこよう。さかなにして、じっくり聞くよ」

「いいけど。晩の後だと、鶴ヶ丘に行くのが遅くなり過ぎるだろ」

「いいんだよ。私にだって都合はあるの。毎週、毎週、行ってられない。犬なら、那美ちゃんに任せておけばいいんだし。それよりも麻弥ちゃんの話に興味ある」

 今は麻弥の話をしているというのに、余計な気を回す。らしいといえば、らしい。苦笑を、孝子は冗舌でごまかした。せっかく好物が並んでいるのだ。やぼはよして、おいしくいただこうではないか。

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