第三四二話 祭りばやし(一)
幸区亀ヶ淵にかつて存在したホームセンター、ライフパートナーDUOの閉店から約二カ月が過ぎた。建物の撤去は完了しており、国道沿いの間口六〇メートル強、奥行き一〇〇メートル弱は更地となっている。向かって左隣にあるサービスステーション、右隣にある倉庫、それぞれの建屋に挟まれたホームセンター跡は、ぽっかりと口が開いたような状態だ。
五月下旬の週末、この場所に集ったのは、孝子、麻弥、みさと、基佳と美幸の五人だ。孝子の車とみさとの車に分乗してやってきた。他に、尋道と彰、launch padの建設を請け負う高鷲地所のスタッフも合流予定だが、一行が先行したようだった。午前一〇時の集合で午前九時半は、孝子たちが早過ぎたのである。
「きれいさっぱりなくなりましたね」
見渡して、孝子はつぶやいた。
「急がせたしね」
美幸が応じた。
「そういえば、今日は、ロケッツの方たちは?」
スマートフォンで敷地内を撮り歩いていた基佳が戻ってきた。
「呼んでないの」
「いいんですか?」
「今、大詰めらしいじゃない」
美幸の言ったとおり、男子のリーグは、現在、プレーオフの真っ最中だ。順調に勝ち進む舞浜ロケッツは、ホームに、アウェーに、と各地を飛び回っている。
「あちらの都合に付き合っていたら、それだけ作業が遅れるでしょう? あちらの計画どおりに建てるんだし、見せなくてもいいわよ。なんとか年度内に片を付けたいの」
そこへ、敷地の中に一台の車が乗り入れてきた。青いワゴンだ。尋道が助手席、彰が運転席から降り立った。
「おはようございます。コーヒー、買ってきたんですが、全員、ホットでよろしかったですか?」
尋道は提げていた袋に手を突っ込み、熱いコーヒーの入った紙コップを配って回る。
「隣の?」
サービスステーションの喫茶コーナーをみさとが示した。
「ええ。中で見てましたよ」
「あ。先に着いてたんだ」
「雪吹。この車、マニュアルだろ? お前の?」
別口では車好きの麻弥が彰に迫っている。マニュアル、の響きに釣られて孝子も続いた。
「親に。一足早く、卒業と就職祝いで」
「ええー。早くないか?」
「選手の自主トレを見て回るのに使いたい、って頼み込みました」
舞姫に加入する元実業団の選手たちのため、中村が組んだメニューの達成具合を確認する任務を帯びているのが彰であった。
「あったな、そんな話。相談してくれたら社用車とか用意できたかもしれないのに」
麻弥の言葉に、彰は首を横に振った。
「いえ。厳密には、僕はまだ舞姫の人間ではないので。それに、社用車に汎用性のないマニュアルは選べませんよ」
「郷本君的なこだわりを感じる」
車内をのぞき込んでいた孝子は、並び立つ尋道と彰を顧みた。身長差が二〇センチ近くあるでこぼこコンビだ。
「なんですか、それは」
「隙がない」
「そうなんですよ、お姉さん」
彰がキーケースを孝子に渡しながらうなずいた。
「ありがとう。拝見」
紙コップを彰に託し、孝子は車に乗り込んだ。ドアは開けっ放して、彰との会話は継続する。
「車、マニュアルにしたいんです、って相談したら、ワタゲンなら差し支えない、と言質を取っていただきました」
「なんだ、言質って」
「ロケッツさんの支援を受けているわけですし、舞姫は重工系のチームと称していいでしょう。当然、関係者は可能な限り重工製品をひいきにすべきなのでしょうが、あいにく重工はマニュアル車の製造をやめていますね。渡辺原動機なら、御社と協業関係にあることですし、構いませんか、と」
「お前、重工とワタゲンが協業してるとか、よく知ってたな」
「調べたら、すぐですよ」
詰まった麻弥をすかして尋道は続けた。
「そういった内容を、重工の螺良副社長にお尋ねしたんです」
高鷲重工業株式会社の自動車事業本部を統括するのが螺良千歳だ。
「重工の螺良さんとか! 郷さん、いつの間に!」
「例の舞浜カントリークラブで、黒須さんのお供をしていたときですね。自動車部門の方っていらっしゃいませんか、と伺って、引き合わせていただいたのが螺良さんでした」
「え。お前、ゴルフ、まだ続けてたのか?」
「以前と比べて縁遠くなったとはいえ、黒須さんは重要なステークホルダーですからね。今月だけで三ラウンド回ってますよ」
「はあ。好きだな」
「麻弥ちゃん。郷本君は接待を引き受けてくれているのに、そんな言い方ってないよ」
意外な発言者は美幸だった。微笑を浮かべつつも、小さく手を振り上げている。はっと身をすくませた麻弥は、美幸、尋道の順で黙礼した。
「郷本君。さっきの口ぶりだと、あえて渡辺原動機の名前を出したみたい。孝子さんの車ね?」
「なんといっても自尊心の強い会社です。いつなんどき、どうしてうちの車に乗ってないんだ、などと因縁をつけられないとも限りません。大勢の前で話題に上せておきましたので、金輪際、問題にはならないと存じますが」
「さすが。切れるね」
会話の横には、一撃が意外に効いたようで、無言の彫像が、一体、立ち尽くしている。失言ではあったろう。掛けるべき言葉も思い付かぬことである。孝子は無視して彰とマニュアル車談議を始めたのだった。




