第三四一話 回転扉(二七)
味の濃い沈黙を破ったのは春菜だった。進み出て、孝子と正対した。
「お姉さん。確か、以前に、launch padの寮に入られる、と伺った気がするのですが、あれはやめられたのですか?」
「うん。誘ってもらってね」
「あちらに?」
春菜が指したのは「新家」だ。
「いや。こっち」
孝子が指したのは「本家」だ。
「そういえば、話してなかったっけ。美咲おばさまがバリアフリー住宅に建て直すの。で、ね。かなり大きなおうちにする計画で、持て余す、っておじいさまに声を掛けていただいたの」
「どれくらい大きなおうちになるのでしょう?」
「さあ。美咲おばさまのなされることだから」
「もうお目覚めでしょうか?」
時刻は午後七時になんなんとしている。
「朝ご飯の時間だし、ぼちぼち、かな。みんなは、何か食べたの?」
「まだ」
「といっても、用意はできないし」
人数分の買い置きしかない、と孝子の追加の説明だった。
「コンビニで買ってきます。ご一緒させてください」
言うなり、春菜は歩きだす。麻弥以下三人も、なんとはなしに、追従した。
「突然、どうしたんだ、お前」
コンビニに向かう途中、麻弥は春菜に問い掛けた。
「建て替えたお宅に、私も置いていただけないかと思いまして」
「は?」
「美咲さんに交渉します」
「お前、寮は!?」
「行きません」
「そんな、勝手なことを」
「入寮は義務なんですか?」
麻弥は詰まった。確かに、そういう話は出ていないはずだ、が。
「でも、お前、家族の中に入っていくのは、どうかと思うぞ」
「お姉さんに言われたら、引き下がりますよ」
言い放った後は、なんと戒めようとも、春菜は無視である。
戻った一行は、待ち受けていた那美に導かれて「本家」の台所兼食堂に通された。孝子、美咲、博が席に着いている。
「お姉さん。お願いがあります」
「おじいさまと美咲おばさまのお許しはいただいたよ」
「家賃、がっぽりー。うそよ」
眠そうな顔をして美咲は万歳をした。隣では博が失笑している。孝子は春菜の内意を読み切っていたようだ。
「ありがとうございます。さすが、お姉さんです。私を完全に把握していらっしゃいます」
「寮は嫌い、って前に言ってたじゃない。結局、そういう話だったんでしょう?」
「そのとおりです」
「お前、いいのか。美咲さんも。おじいさんは、どうなんですか」
「気を回さなくていいよ。迷惑なら断る。私がおはるに遠慮する筋合いはないんだし」
きっぱりと言われて、麻弥は閉口した。
「佳世君は、どうするのかね?」
敬愛する先輩に、さっさと先行されて、途方に暮れた様子の佳世が、ぴょんと立ち上がった。
「お姉さん! 私も、いいんですか!?」
「今更、一人で寮生活なんかさせたら、病みそうだしね。二人とも、在学中は今のままの生活費でいいけど、舞姫に入ったら、しっかり払ってもらうよ。あと、お手伝いしてね。麻弥ちゃんがいなくて、人数分の食事を一人とか、無理だから」
「じゃあ、正村さんも、こちらでご厄介になったらいいんじゃないですか? また、みんなで暮らしましょうよ」
慣れ親しんだ顔の集結か、という状況に佳世ははしゃいでいる。
「そうはいかない。佳世君は、もしかしたら、おはるも知らないかな。麻弥ちゃんち、うちの隣なの。この距離で一人娘が別居してるのは、さすがにおかしいよ」
「あ。そっか」
いつしか麻弥も話に引き込まれていたらしい。海の見える丘での明け暮れが続くのか、とわれ知らず浮かれていたのだ。
「そうだよな。亀ヶ淵でも文句を言われそうだもん。通え、って」
大学卒業は、もとより知れていた別離の期限ではないか。改めて、その事実が明確になっただけだというのに。つぶやきの弱々しいことといったら、なかった。らちもないざまである。




