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未知標  作者: 一族
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第三四〇話 回転扉(二六)

 全日本女子バスケットボールチームがアメリカ遠征から帰国した。アメリカではレザネフォルとサラマンドを行ったり来たりして、都度、エンジェルスとミーティアにもんでもらう充実の三週間を過ごしてきたのだ。LBAのシーズン中にもかかわらず、これらの厚遇は全て、両チームで地歩を固めた静と美鈴の存在故だった。

 静と美鈴はLBAのシーズンを優先して、三日後に始まる第三次強化合宿および連続して実施される第四次強化合宿には参加しない。第四次強化合宿は、世界最終予選会と「ユニバーサルゲームズ」の開催地であるスペイン遠征だ。かの地で行われるヨーロッパ勢との三連戦を精査した上で内定を出す、と中村は明言した。これを免除された二人は、当確、となったわけだ。

 チームは帰国するや直で国立トレーニングセンターに入った。チームの結成と同時に確定していた春菜に加えて、静と美鈴の当確で残る全日本の席は九つとなった。休養している暇などない。即座に第三次強化合宿に入るべし、というのが、ほぼ全員の総意であり、その意気に応える形で中村も合宿の前倒しを決定したのだった。思わしくなかった遠征の戦績も大いに影響していただろう。

 さて。ほぼ、であるので、休ませろ、と主張する者もいた。もちろん、春菜だ。

「やりたいのでしたら、勝手にやってください。私は絶対に休みますよ」

 春菜にべったりの佳世は、これに追随した。東京空港まで二人を迎えにやってきたのは、ウェスタを駆る麻弥だった。早朝の到着便に合わせて、未明の行動である。

「あれ。お前も?」

 到着ロビーに姿を見せた全日本から離れ、近づいてくる春菜と佳世の背後には基佳の姿があった。小ぶりなスーツケースを引いている前の二人に対して、巨大なカートを押している。

「お前、また、そんな大荷物を」

 以前にも似たようなことがあった。サッカーのプロチーム、舞浜F.C.のキャンプを取材に出向き、山のような荷物と共に帰ってきた、その再現だ。

「歩きながら話そう」

 到着ロビーには、意外に全日本の出迎えらしき人影が多かった。極力、接触を避けるために、麻弥は三人を急かしたのだ。

「送れよ」

 国際線のターミナルビルを出て、ようやく麻弥は口を開いた。

「送ったよ。もう、手ぶらで帰ろうと思ってたら、出発の直前になってアートがお土産をくれちゃって」

「アートか。じゃあ、仕方ないな。しかし、載るかね。この大荷物は」

「絶対に載せて。置いていかないで」

「荷物だけは引き受けてやる」

「私は?」

「徒歩」

 運転者以外が抱えることで、どうにか三人分の荷物は車内に収まった。

「あらかじめ言ってよこしておけば、応援を頼んだのに」

 麻弥は車を発進させた。

「ごめん、ごめん。国立トレーニングセンターに付いていこうか、迷ったんだよ。でも、いくらやる気があっても、今日は全日本、無理でしょう、と思って」

「まあ、な。小早川。緑が丘は、海の見える丘に寄った後でいいか?」

「お願いします。あ。ロンドは、海の見える丘?」

「いや。鶴ヶ丘。週末だし、孝子も、あっち」

「途中、寄れるかな? 顔が見たい。あ。まだ、神宮寺さん、起きてないかな?」

「起きてるよ。あいつ、朝は早い」

 佳世がずいと身を乗り出してきた。

「わんこさんがいるんですよね。私もわんこさんに会いたいです」

「いいですね。お姉さんにすごく懐いてると聞きました。私も見てみたいです」

「お前たち、疲れてないのか?」

 問題なし、の返事を得て、麻弥はうなずいた。

「じゃあ、行くか。誰か、そっちに行く、って孝子に電話しておいて」

「はい」

 佳世がスマートフォンを取り出した。

「海の見える丘に寄って、荷物を置いていくから、少し時間がかかる、って言っておいて」

 海の見える丘経由鶴ヶ丘行きの車が、神宮寺家に到着したのは、午前六時半だ。敷地に車を乗り入れると、ロンドを抱えた孝子が待ち構えていた。

「お帰り」

「わんこさん!」

 車を飛び出してきた佳世におびえたのか、ロンドは孝子にむしゃぶりつく。

「大丈夫。知ってる子。はい。あいさつ」

 指令を受けて、ロンドが佳世のほうへ向き直った。元気に、ワン、と鳴く。

「犬って、こんなに言うことを聞くものなんですか?」

 自分にも愛想を振りまいてくるロンドを眺めて春菜がつぶやいた。

「ブリーダーさんが言うには賢い子らしいよ。そうだ。もっさん。昨日、櫛木(くしき)さんのところに行ってきた」

 孝子がロンドを基佳に手渡した。

「櫛木?」

「ブリーダーさん。いろいろ教えてもらわなくちゃいけないし、あいさつに行ってきたの。驚かれたよ。一カ月ぐらいで、慣れ過ぎてる、って」

 麻弥に応じつつ、孝子は基佳の背後に回り、デニムパンツのピスポケットに、何やらねじ込んだ。

「神宮寺さん? 何?」

「銭。犬。これでお前は、完全に私の犬になった。もうお客さんじゃないよ。虐待する」

「優しくしてあげて」

 基佳は孝子にロンドを返した。

「引き受けた以上は責任を持って面倒を見るよ。もっさんも、犬も、その点は信じてくれていい」

「うん。ロンド。こんな飼い主でごめんね」

 潤んだ声の後に、一瞬の間があって、孝子の声が響いた。

「もっさん」

「……うん」

「私、大学を卒業したら、ここに戻るの。もっさんも、緑が丘でしょう?」

「その、つもり」

「遊びに来たらいい。勝手に犬を散歩させてくれてもいいよ」

「うん」

「むしろ、せっせと来ないと、犬がいたぶられる」

 基佳はうなずいている。泣き笑いの一歩手前だ。麻弥はさりげなく視線をそらした。見上げれば、五月晴れの空は青く澄んでいる。

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