第三三五話 回転扉(二一)
観戦は、リビングのテレビに映し出して行う運びとなった。当初、スマートフォンの小さな画面を前に、がん首を並べていた四人に対して、エディの進言だった。いわく、基佳のスマートフォンは最新のモデルで、カメラの性能は良好だ。標準の設定で撮っていたとしても、大画面での観賞に堪える映像となっているはずである。接続してやるので、そんな、せせこましいまねはやめたまえ、と。ミューア邸のアメリカらしい大画面で観戦できるのなら、それに越したことはない。テクノロジーに詳しいエディに感謝しつつ、肩寄せ合っていた静以下四人は、一息をつくのだった。
試合が行われたのはミーティアの練習施設だ。正式のプレシーズンゲームでありながら、この扱いは、急な申し込みで会場を手配できなかったのである。これはエンジェルスも同じだった。
「去年もだが、どうして全日本はぎりぎりになって言ってくるんだ? もっと早くに言ってくれば、ザ・スターゲイザーは無理としても、もっとましな会場が手配できたのに」
エンジェルス球団社長のジェフことジェフリー・パターソンが、そう静に愚痴ってきたものだ。チームのスケジュールは、まだなんとかなる。しかし、会場のスケジュールは、すぐにどうこうできる類いのものではない。
全ては春菜の意向だった。先のオーストラリア戦では、早々に相手が戦意を喪失してしまい、ろくな練習にならなかった。この結果を受けて、最後まで手を抜かないであろう強豪として、静と美鈴の顔が利く両チームを指名したのだ。オーストラリア戦が行われたのは先月の中旬だった。一カ月強で名のある会場は抑えられない。というわけで、明日の試合も正式のプレシーズンゲームだが、会場はエンジェルスの練習施設で行われる。
静が全日本とミーティアの一戦で注目するのは、どの程度の差で勝ったか、だった。全日本の充実ぶりを考えたとき、敗戦はあり得ない。春菜の予言どおり、ぼっこぼこ、にできたのか。ここに尽きる。
もう一点、同じポジションの選手たちのプレーも、見ていきたい。全日本のガード陣は、志摩瑞穂、新原瑶、出水咲織、武田千春、ここに、静と美鈴が加わって、計六人だ。スモールフォワードの春菜と木崎美桜もガードの役割をこなせる。明らかに過剰な人数といえた。ごっそり減らされる可能性は高かった。負けるつもりはないが、気になる。オーストラリア戦のスターティングメンバーは静と美鈴だった。ミーティア戦では静に代わって出水咲織、美鈴に代わって志摩瑞穂が出場したようだ。出水は小柄なガードで静と似たスピードタイプ、志摩はロングレンジを得意としていて、こちらも競合者と似たタイプだ。お手並み拝見といこう。
「何を、やってるの」
開始から三分がたったあたりで、アーティがつぶやいた。圧倒的に押し込まれるミーティアに対する感想だ。やはり、全日本の敵ではなかった。オーストラリア代表のレイチェル・コックスをして、サーカスのよう、と称されたボール回しに、美鈴もアリソン・プライスもお手上げの状態に見えた。今季のLBAは夏に開催される「ユニバーサルゲームズ」に合わせて、例年から半月以上も前倒しした開幕となる。四月末日の明日にミーティア、エンジェルスはあさってが開幕戦だ。つまり、全日本は調整十分のLBAチームを手玉に取っているわけである。合宿続きで、皆、疲労もたまっているだろうに、素晴らしいではないか。
「まだよ」
静の胸中を見抜いたかのようなタイミングで井幡がつぶやいた。
「いい勉強になった。チームのキャパを超えた相手に、どう対処するか。重い課題を突き付けられたよ。もう一締め、二締めしないと」
独白の理由は、すぐに判明した。美鈴だ。このままでは、らちが明かない、と踏んだのだろう。攻勢に転じた。ボールを持った瞬間にシュートを打ちだした。どれだけ遠かろうが、お構いなしだ。一本、二本、三本。立て続けにボールをゴールに放り込んでいく。ついに全日本は美鈴を抑えるために春菜を当てなくてはならなくなった。こうなると、いけない。攻守を掌握していた大エースを、後手に回って動かしたことで、全日本の組織にほころびが発生した。ベテランのアリソンが、これを見逃すはずもなく、発生したひずみを的確に突いていく。舌なめずりをしながら動き回る美鈴の対処に追われて、春菜は身動きが取れない。結果、全日本は、まさかの逆転負けである。
「さすがミスだわ。全日本も、なかなかいいチームだったけど、ミスの他はアリーしかいないミーティアに、あれだけやられているようじゃ、到底、エンジェルスには勝てないわね!」
お気に入りの美鈴が活躍し、アメリカのチームも劇的に勝利したので、アーティは破顔一笑している。この上機嫌は、翌日の正午過ぎ、レザネフォル国際空港そばのTHIセンターで行われた一戦が終わっても続いていた。そう。全日本は敗れたのである。今回も春菜が鍵となった。シェリルにマークされ、自由を奪われた大エースに連鎖して、全日本は機能不全に陥ったのだ。
勝利に沸くエンジェルスのベンチで、静は、一人、沈痛であった。チームの勝利は勝利として、相手は全日本なのだ。しかも、完敗、させてしまった。全日本には、静と美鈴が不在だった、という上積み要素が、あるにはある。だが、アメリカには、アリソン・プライス、ゲイル・トーレンス、グレース・オーリー、イライザ・ジョンソン、といった質量共に比べものならない上積みが控えていた。はっきりと分が悪い。
全日本のベンチを見ると、春菜が頭からタオルをかぶって、ベンチにふんぞり返っている。ぴくりとも動かない。シェリルを引き剥がそうと、相当、激しく動き、ついにかなわず精も根も尽き果てたのだ。
シェリル・クラウスは四〇歳。そのキャリアは、全日本女子バスケットボールチームの選手たちが生まれる前に始まった。以来、三〇余年が過ぎ、なお建設半ばの金字塔は、その壮麗さにおいて比較し得る対象はない。全日本女子バスケットボールチームがユニバースでゴールドメダルを獲得するためには、この尋常でない偉容、どうしても乗り越えなくてはならないが、それはとてつもない難事であるようだった。




