第三二八話 回転扉(一四)
四月中旬の日曜日は、一三日間にわたる全日本女子バスケットボールチームの第一次強化合宿の、ちょうど中日であった。この日をもって静と美鈴はLBAのキャンプに参加するため、合宿を離脱する。明日の便で渡米だ。
午後八時、東京都北城区の国立トレーニングセンター宿泊棟前には、二人を見送るべく集った人の固まりがあった。選手、スタッフ、密着取材を許された「小早川組」の面々など三〇人余である。
「いらっしゃったんじゃないですか?」
春菜の声に、全員の視線が宿泊棟の正門に向けられた。ちょうど青いSUVが構内に乗り入れてきたところだった。運転席に孝子、助手席に麻弥の姿が見えた。同時に、撮らない、撮らない、と基佳が「小早川組」に触れ回っている。気難しい親友の激発におびえているのだ。
そうこうするうち、車寄せに車がとまった。直ちに荷物の積み込みは完了し、美鈴が代表して、声を上げた。
「じゃあ、行ってきます。みんな。アメリカで待ってるぜ」
美鈴のあいさつに合わせて静は頭を下げた。第二次強化合宿でアメリカに遠征する全日本は、エンジェルス、ミーティアとプレシーズンゲームを行う予定になっている。先のオーストラリア戦という、ある意味での大凡戦を受けて、手を抜かない強豪との試合を春菜が希望したのだ。静と美鈴は敵として全日本を迎え撃つ。完全なエンジェルス、ミーティアとプレシーズンゲームを行う。これも春菜の希望であった。
「容赦なく、ぼっこぼこにしてやるぞ」
「ぼっこぼこになるのはミーティアです。『中村塾』でやってきたことを、存分に発揮すれば、負ける理由はありません」
美鈴に相対したのは春菜だった。
「なんだと」
「ただ、美鈴さんだけは、ぼっこぼこにやられてもらっては、困ります。むしろ、こちらのマーカーをぼっこぼこにしてください。美鈴さんは全日本のポイントゲッターですからね。それよりも、問題はエンジェルスとの試合です。桜田大の方たちのおかげで、プレーの強度的には、エンジェルスにだって負けない練習を積めたはずなんですが」
「中村塾」の活動の終了と同時に解散となった、桜田大男子バスケ部有志たちの名を春菜は挙げた。彼らは仮想アメリカを結成し、「中村塾」に胸を貸してくれていたのだった。
「それでも、不安はありますね。シェリルの判断力まではコピーできなかったので。互角の相手との戦いで、あの人は、どう動くのか」
一席ぶちだした春菜の声に、一同、声もなく聞き入っている。
「ゴールドメダルへの試金石になる試合ですよ。勝てれば、ゴールドメダルの可能性は、大いに高いと判断していいでしょうし、負けっぷりによっては、シルバーメダルの可能性が、これまた、大いに高いと判断できますよ」
帰りの車内では、美鈴がけたたましくしゃべっている。春菜の披露した展望を聞いて、熱く血をたぎらせているのだ。
静も呼応する。どうやら、春菜の鼓舞にうまうまと乗せられてしまったようだった。なんとも気の早い話だった。全日本女子バスケットボールチームは、ユニバースのゴールドメダルどころか、その手前の世界最終予選会での勝利を目下の急務として活動中なのだ。さらに言えば、現在、合宿に参加しているのは一七人である。ユニバースの登録メンバーは一二人だ。つまり、五人がふるい落とされる。一二人の中に入らなければ、何も始まらない、というのに浮かれた会話は、いつしか、祝勝会の開催にまで及んでいた。
「たーちゃん。メダル取ったら、お祝いしてよ」
「いいですけど」
孝子は失笑している。
「何か、ご希望が?」
「おいしいもの?」
「漠然としてるなあ。静ちゃんは、何かある?」
「そう言われても……」
あった。ライブだ。義姉がボーカルを務めるバンド、ザ・ブレイシーズのライブだ。義姉に制作を依頼した静のテーマソング、『指極星』をはじめとした、ザ・ブレイシーズの楽曲の演奏のことごとくが、静は好きだった。
思い出した。LBAの新人王を取れたら、ライブを開催してくれる、と約束を交わしていた。かなわなかったのは、隣に座る美鈴に新人王を取られたためだった。
今度こそ、開いてもらわねばならない。できれば、舞姫のホームアリーナとなる新舞浜トーアの劇場で『指極星』を聞いてみたかった。
言い出そうとして、自重した。あれほどまでに見事な歌唱力を持ちながら、孝子は喉の披露を全く好まぬ。おねだりは、こっそり、やらねばならないので、今は、思い付かない、としらばくれた静であった。




