第三二七話 回転扉(一三)
一つの節目に付帯して、種々の転化が発生するのは自明だ。神宮寺孝子の率いるカラーズ合同会社の周辺でも、年度替わりで、いくつかの変遷が起きている。
このうち、最も大きかったのは、カラーズを母体とする神奈川舞姫の全容が明らかになったことであろう。四月一日に行われた発表は、大いにちまたを騒がせた。神宮寺静、北崎春菜、市井美鈴、須之内景、池田佳世といった当代有数の達者たちが参加を表明し、指揮を執るのは、現全日本女子バスケットボールチームのヘッドコーチ、中村憲彦だ。それだけではない。チームの後援には男子プロリーグの雄、舞浜ロケッツが控えている。ロケッツとは、ホームアリーナ、練習場も共有する蜜月関係だ。とどめに、アメリカプロ野球の開幕戦で三本のホームランを放ち、鮮烈なデビューを飾った川相一輝がスポンサー就任とあっては、話題にならないほうがおかしい。
その川相とカラーズが結んだマネジメント契約、Colours of Sealthの設立など、舞姫以外の動きも激しかった。日本リーグの競合相手となる高鷲重工に、受けていた協賛の辞退を申し出たことが、些事に感じられるほどだ。
四月初旬の、いよいよあさってから全日本の合宿が開始されるという週末である。カラーズはSO101でミーティングだった。入室者の新記録達成が堅いとかで、げんなりとした孝子は部屋の隅に陣取っていた。黙読しているのは、昨日、行われた在学生オリエンテーションで配布された今年度のガイダンスブックだ。孝子は、一度、大学受験に失敗している。同い年の麻弥らに一学年遅れて、一歳年下の春菜と同学年の三年生だ。卒業に必要な単位の取得を完了し、余裕のある同い年の先輩たちとは違う。最短でも今年までは、時間割とにらめっこをしなくてはならない。
時刻は午前八時三五分で、ミーティング開始予定の午前九時には、まだ間があった。室内には、カラーズの四人と春菜、佳世がいた。
参加者の到着を待つ間の暇つぶしに、とカラーズの誇る六五インチのテレビには、アメリカプロ野球の試合が映されていた。シアルス・ウイングス対レザネフォル・ウルススの試合には、川相が三番指名打者で出場している。
「あっ!」
みさとの声に、孝子は顔を上げた。川相が打ったらしい。孝子はすぐに視線を落とした。
「また打ったよ、あの人! なんか、信じられないね。あんな、スーパースターとカラーズが契約してるなんて」
「五試合で、五本目?」
麻弥の声も上ずっている。
「そうですね」
尋道が応じた。
「すごいよねえ。何より、神宮寺の運気が強い」
視線が、手にした冊子の黙読に集中し切って、一言も発さないカラーズのCEOに集まった。
「……何か言った?」
「言ったよ。あんたの運気が、すごい、って。よくぞ、川相さんみたいな人を引っ張ってきた」
「そう」
「淡泊ですなあ。さっきから何を見てるの」
気のない返事に、みさとがのぞき込んできた。
「時間割」
「あ。そうか。ハルちゃんは、講義は?」
「お姉さんと同じ学部学科なので、全てお任せしています」
と春菜は涼しい顔だ。
「それよりも、ここでのミーティングって、いつまでやるの?」
「ああ。狭いね。もう少ししたら、一気に人が減るし、我慢してよ」
参加者のうち、全日本の合宿に参加する旧「中村塾」勢は、じきに姿を消す。これだけで人数は半減する。春季休暇の期間が終われば、長沢も顔を出す暇はなくなるだろう。基佳、山寺のジャーナリスト勢は、バスケットボールの関係者が不在のSO101に興味を示すまい。
「はいはい。……この部屋も、今年いっぱいかな」
「へ?」
「launch padが完成したら、カラーズのオフィスも移すでしょう?」
「名残惜しい気もしますが、移転の楽しみのほうが勝りますね。次は、テレワークの体制を、ぜひ、整えたい」
珍しく尋道が前のめりだ。
「お。具体的な」
「自転車で通おうか、と思っているんですよ。で、雨が降ったら、出社しない、と」
舞姫とロケッツの練習場、launch padが建設される舞浜市幸区の亀ヶ淵は、尋道が住まう幸区の鶴ヶ丘と隣り合った地区だ。徒歩で通うには、やや遠いが、自転車を使えば、程よい距離である。
「郷さん。私なんて、選手寮に入るつもりだぜ」
「女子寮に立ち入るわけにはいきませんよ」
「いや。中村さんや雪吹君次第では、男子寮もいるかな、なんて考えてるんだ」
「私も、寮かな。いつまでも、海の見える丘に、いるわけにはいかないし」
「鶴ヶ丘には帰らないのか?」
孝子は麻弥に向かって首を横に振ってみせた。神宮寺「新家」の孝子の個室は狭小なのだ。
「麻弥ちゃんは、戻るの?」
「戻らない。お前と一緒にいて自由に慣れ過ぎた。それに、亀ヶ淵なら、駐車場も広く取れると思うんだ。私、自分の車が欲しいんだけど、うち、一台分しかスペースがなくて」
「ああ。亀ヶ淵って、鶴ヶ丘駅にも、長船駅にも、微妙に距離があるよね。私も、車、買おうかな」
みさとの発言に車好きの麻弥が目を輝かせた。自動車談議が始まった。孝子はガイダンスブックを閉じた。気心の知れた人たちとの交流の継続という、心躍る話題の一環だ。加わらない手は、なかった。




