第三二〇話 回転扉(六)
「中村塾」のメンバーたちがオーストラリア遠征へと旅立った。三月の半ばは、現地では秋口だ。自国のリーグが終了したばかりで、依然、臨戦状態にある世界二位の猛者たちの下へ殴り込みだった。
試合はニューサウスウェールズ州アルビオン市で行われる。会場に充てられたのは、同市を本拠に活動する女子プロバスケットボールチーム、アルビオン・ワラルーズの練習施設だ。練習施設らしく客席などはない。バスケットボールのコートの一面だけで、ほぼ平面を使い切ってしまっているような狭さ、と伝わってきている。もっとも、非公式の練習試合である。立派な会場でやる意義はない。それは、日本の午前八時は現地の午前一〇時という試合の開始時刻にも現れていた。どちらの国でも、見せる、ことを全く考慮していないのだ。
そんな試合が、はるか離れた日本の地で、しかも生中継で観戦できる。中継を担当するのは、舞浜ケーブルテレビのスポーツ専門チャンネル「ティースポーツチャンネル」だ。もちろん、黒須貴一の手回しである。オーストラリア戦を仕掛けたのも黒須だ。当初、「中村塾」のデビュー戦の相手に考えられていたのは、日本リーグのオールスターチームであった。しかし、鍛え抜かれた精鋭相手には不足であろう、とオーストラリア代表との練習試合が組まれたのだ。
孝子たちは、この一戦を観戦するため重工体育館に向かった。木村の招待だった。孝子たちの周囲には舞浜ケーブルテレビと契約している者がいなかった。申し出は願ったりかなったりのものであった。
体育館のカフェラウンジには大型のテレビが特設されていた。テレビの周囲にはアストロノーツの選手とスタッフたちがごった返している。彰ら桜田大男子バスケ部勢もいる。『バスケットボール・ダイアリー』誌の山寺の姿も見受けられた。
賑わいを避けてカラーズの四人はテレビから離れた席に座った。気付いて木村が寄ってきた。
「神宮寺さん。前、空けさせましょうか?」
「いえ。私たちはこちらで大丈夫です」
「承知しました」
放送が始まった。試合開始三〇分前の午前七時半だ。
コートの全景を定点で撮影する映像には、ウオーミングアップ中の黒いジャージーたちと白いジャージーたちとが映っている。このうち「中村塾」は黒いジャージーたちだ。実は、このジャージー、黒須が「中村塾」のデビュー戦のために用意した特製だった。ユニフォームも同様だ。この日のためだけにアストロノーツと契約する桜楽繊維工業株式会社に製作を依頼したのである。全て黒須の自費というから豪気なことだ。ただ、重工マンとしての自分を象徴するギャラクシーブラックを選んだのは、ややいやらしかったが。
テレビでは、実況の口上に続いて、解説を担当する舞浜大学女子バスケットボール部監督、各務智恵子の分析が始まっていた。「ティースポーツチャンネル」の解説者である各務は、この試合の担当も依頼されて現地に飛んでいるのだ。
現地に飛んだのは、他にも黒須夫妻と基佳がいる。黒須は総責任者としてチームを率い、夫人の清香は、そのサポートとして随行した。基佳はカラーズの特派員としてくっついていったのだ。
画面が切り替わって、その基佳が映った。マイクを持っている。コートサイドに立ってレポートを送るようだ。スポーツキャスターの卵に、黒須が役どころを用意してくれたのだろう。志望する舞浜ケーブルテレビへの入社は内定したとみてよさそうである。
ヘッドコーチの中村、キャプテンの広山、と試合前のインタビューを無難にこなしている基佳なのだが、その間、孝子は肩を震わせっ放しだ。
「もっさん、化粧が濃い」
確かに、テレビ映りを意識してか、普段の薄めの仕上げを比べると、目元などはかなりくっきりとさせている基佳だった。
「気合いを入れたんだろ。お。春菜だ」
基佳の隣に意外の人物が立った。春菜だ。
「ハルちゃん、問題発言をしなきゃいいけど」
「例えば?」
懸念を表したみさとに麻弥が問うた。
「大上段でオーストラリアを語ったり、とか」
みさとの予想は外れた。それも、予期せぬ方向に、だ。試合への意気込みを問われた春菜は、
「勝ちます。具体的には、四月から来る人たちが辞退を考えるぐらいの圧勝を狙っています」
と言った。
「四月、ですか……?」
当然、基佳は困惑している。カフェラウンジの人たちも同じだ。
「はい。『中村塾』の活動は三月末までで、四月になると全日本の合宿に移っていくんですね。そこには『中村塾』に参加していない方たちもいらっしゃると思うのですが、正直なところ、今更、来られても迷惑なんですよ」
「は……?」
「私たち、相当、仕上がっています。今のメンバーのまま、世界最終予選、そして、ユニバースに臨むべきだ、と私は考えています。というわけで、今から加わっても無駄だな、と思っていただけるような試合をお目にかけようと」
「…………」
「心当たりの方たちは、ぜひ、前向きにご検討ください。それでは失礼します」
一礼して春菜は去っていった。画面には映っていないが、男の笑い声が聞こえる。この場の全員が既知の声の主は、無論、黒須貴一だ。そばで聞いていて、大いに興に入ったのだろう。
「ああ、言ったなあ……!」
立ち上がった山寺がうめいた。カフェラウンジのそこここでも同様の声だ。
孝子の肩の震えはまだ続いていた。対象は基佳の化粧から春菜の言動に移っていた。




