第三〇話 春風に吹かれて(一三)
四時限目の講義が終了して間もない午後五時ちょうど、孝子と麻弥、春菜は、舞浜大学千鶴キャンパス前駅の高架下に集合した。目についたのは春菜が自転車を押して現れたことだ。フロント部分にバスケットの付いた、いわゆるママチャリである。
「自転車で来てたのか?」
「うん。自転車を置いた後で、私を迎えに来てくれてたんだって」
「じゃあ、遠い……?」
「二キロはないです」
「了解。じゃ、行くか」
おあつらえ向きに全員がパンツルックとスニーカーで歩行に支障はない。朝からの晴天もそのままで、過ごしやすい午後だ。春菜の案内で高架に沿って南下し、突き当たった通りを右、つまり西へと進む。「臨海産業団地」と周囲を隔てる緩衝緑地を越えると、それまでの生活感のない風景が一変した街並みの登場だ。
「こっちのほうは初めて来たけど、アパートとかマンションが多いんだな。舞浜大の学生寮も、この辺りにあるのか?」
「はい。あちらに少し行ったら体育会系の寮があります」
方向にして北を指し、春菜が言った。
「お前の住んでる所は?」
「もう少しです」
通りに面した五階建て、白亜のマンションが、春菜の住まいだった。夕日を受けてきらめく外壁から、新築間もないことがうかがわれる。
「お前、いい所に住んでるな」
「どうぞ、中へ」
春菜がガラス張りのエントランスに近づくと、ピッ、と電子音がして引き戸が左右に開いた。
「なんの音だ……?」
「スマホと連動して自動で開くんですよ」
風除室の先の引き戸も春菜の接近に合わせて自動で開く。
「もしかして、エレベーターまで自動だったり?」
エレベーターホールに通ったところで麻弥が問うた。
「さすがに、それは」
春菜の部屋は四階の四部屋並んだ東側だった。五階はオーナーの占有スペースなので、賃借人の実質的な最上階だという。1Kの間取りは洋間の一〇帖ほどで、キッチンスペースも広い。室内で目立つのは部屋干しの洗濯物と、総菜のパックがまとめられたビニール袋の二つ。それ以外は座卓、敷きっ放しの布団、部屋の隅に積んである段ボール箱ぐらいしかない。
「麻弥ちゃんの部屋と互角だね」
「うるさい」
「正村さんも、こんな感じですか?」
「方向性は、な。しかし、お前、晩ご飯って、私たちの食器とかはあるのか? この部屋、いろいろなさ過ぎて、不安になるんだけど」
「買いますよ」
「……孝子、検分だ。あるものでできるやつを考えよう」
検分は、あっけなく終わった。調理器具は小鍋が一つ。食器はどんぶり、小皿、カップ。冷蔵庫の中身も、ミネラルウオーターと牛乳のみだった。ほぼ、何もない、と言って差し支えない。
「総菜のパックでそのまま食べるので、食器は必要ないかな、って」
「この感じだと朝は食べてないだろ?」
「はい。面倒で」
「お前、だから痩せるんだぞ。しかも、駄目な痩せ方だ」
春菜が目を見開いて麻弥の顔を見返した。
「正村さん、よくわかりましたね」
「北崎さん、本当? 私、気付かなかった」
「私はたまにしか顔を合わさないし、それで気付いたんだろう。毎日、顔を合わせてたら、どうだったか」
しきりにうなずいていた春菜が、やがて、吐息のような調子でつぶやいた。
「私を気にしてる、って思ってたんですけど、気に掛けてくださってたんですね」
「実は、見掛けによらず面倒見がいいの」
「見掛けによらず、は余計だ。しかし、どうするかな……」
買う、は悪手だ。海の見える丘の調理器具、食器を持ち込むか。それとも、いっそ海の見える丘に行くか。結局、お邪魔したい、という春菜の希望を受けて、三人は海の見える丘に移動することにしたのだった。