第三〇五話 舞姫(二〇)
どういう風の吹き回しか。「中村塾」の送迎に同行する、と孝子が言ってきた。孝子が行くなら、麻弥が残るし、麻弥が行くなら、孝子が残る。この分担でやってきたのに、珍しかった。
「ちょっと、ミス姉に用があってね。帰りは乗せてもらう。麻弥ちゃんはおはると佳世君を連れて先に帰っていいよ」
「あいよ」
このようなやりとりを経ての帰途だ。助手席に春菜、後部座席に佳世と乗せて、麻弥は海の見える丘へ向かって車を走らせていた。
「そうだ。あいつ、時間かかるのかな。晩は待ったほうがいいか、聞いときゃよかったよ」
ぼやきに応じたのは佳世だ。
「かなり、かかると思いますよ。多分、Asterisk.の振り付けが手に入ったんじゃないかなー」
「何? アステリスク、って?」
「あーあ。池田」
春菜のあきれたような声が車内に響いた。
「……お前、何か、知ってるのか?」
いくら待っても佳世の反応がないので、麻弥は春菜に問うた。
「郷本さんは、求道者に他との接触は無用、っておっしゃってましたけど、まさか、正村さんもご存じじゃないなんて」
「何を言ってるんだよ」
「もうお話しするしかありませんが、池田をかばってくださいよ」
こうして麻弥は、トーアの劇場にまつわる舞台演出が、あずかり知らぬところで進行していた事実を知ったのだった。
孝子は意外に早く、午後一〇時を少し回ったあたりに戻ってきた。麻弥たちからは三〇分遅れての到着である。
「ああ。待っててくれたんだ。ご飯、先に済ませてて、って言っておけばよかったね」
食卓に並ぶラップを張られた食器類を見て孝子がつぶやいた。
「お姉さん」
「なあに」
「すみません。池田がぽろりとやって、正村さんが」
「佳世君は何をぽろりしたの? そういえば、この子は、なんだかむすっとしてるね」
孝子は麻弥を指した。
「トーアの舞台演出です。正村さんがご存じないとは思わなくて、池田が歌舞の話をしちゃって」
「おしゃべり」
佳世が動きを止めた。
「おしゃべり、じゃないだろ。一人で勝手に進めて」
応じず、孝子は自室に下がっていった。部屋着に着替え、戻ってきても、やはり、反応はなかった。さっさと食事を始めてしまう。
「孝子」
「何?」
「郷本と二人で決めたのか? 斎藤には言ってるんだろうな?」
「言ってないよ。そもそも、歌舞をやろう、って言ってきたのは剣崎さんだし、賛同したのは郷本君。文句があるなら、二人にどうぞ」
「え。剣崎さん……?」
それきり、だった。いくら尋ねても、うんともすんとも孝子は言わない。しまいには「殺人光線」が射出されて、追及は断念せざるを得なくなった。
こうなれば尋道に尋ねるしかない。午後一一時になんなんとしていたが、あの男、まだ起きているか。電話をかけると、寝床に入る直前だった彼をつかまえることができた。
「ははあ。いずれは明らかになるわけですし、そうなる前に、話しておけばよかったですかね」
「……あのさ」
「はい」
「なんで、お前だけなの?」
「僕は岡宮鏡子のマネージャーなので」
「え!?」
「それも併せて説明しますよ。斎藤さんにも声を掛けたいので、セッティングは任せていただきます。都合の悪い日はありますか?」
「特には、ないけど」
「では、そのように」
尋道からミーティングの日取りおよび場所を知らせるメッセージが届いたのは、日の変わる直前のことだ。明日の午前一〇時に、インキュベーションオフィスSO101が、彼の指定であった。




