第三〇三話 舞姫(一八)
気が付けば、重工体育館だ。といっても、足が向いたわけではない。思案に暮れていたら、いつの間にか到着していた。孝子の隣には尋道がいる。この男のせいだった。
喫茶「まひかぜ」におけるミーティングで、剣崎が提出してきたのは、歌劇的な演出、だ。クラシック音楽を基調とした演出にしてみたい、と。元々、そのために造られたような場所に違いない。劇場との親和性は抜群だろう。悪くない、と思われた。
しかし、具体的な話を聞いているうちに、一つ、気に入らない点が出てきた。歌劇的な演出の目玉として、試合に勝ったときに歌舞を演じてみてはどうか、という剣崎の案だ。チーム名とも合致した妙案と彼は言うのだが、アスリートのやるべきとは思われないし、第一、カラーズの理念にそぐわない。即座に反攻した孝子に、まさかの事態が起こった。背中を撃たれた。尋道の仕業だ。
いわく、
舞姫には少なく見積もっても、二〇人からの人員が必要だろう。それらを支えて、なお理念を唱えるだけの力は、カラーズにはない。アスリートのやるべきではなくても、やってもらわねばならなくなる。自助努力だ。舞姫はクラブチームである。クラブチームにとっての自助努力とは、すなわち、名声の獲得といってよい。名声あればこそ、人が、金が、力が、集まってくる。では、どのように名声を獲得していくか。アスリートらしくバスケットボールにまい進しても無駄だ。日本リーグの平均観客数は一〇〇〇をやや超えたあたりにとどまる。これは、ビッグゲームの集客に補填を受けてのものなので、ほとんどの試合では一〇〇〇を切っているのが現実といえた。厳しい数字だ。当然、世の耳目を引く機会も極めて少ない。たとえ舞姫が日本リーグで無敵を誇ろうとも状況に変化は起こるまい。それよりも、歌劇的な、だ。舞台演出への注力は、決して悪くないと思われる。バスケットボールよりも、当たる確率は、何倍も高い。剣崎の全面協力の下に、自助努力の一つとして、歌舞をやってみては、どうか?
だそうだ。
周到な尋道のこと、今回の一件とは無関係に、日本リーグの興行実績などは承知していたのだろう。相手が悪かった。個人的には白旗を掲げたが、あくまでも、個人的には、と注釈が付く。実際に歌舞をやらされる選手たちは、どんな反応を示すか。手ひどい拒絶も、十分にあり得た。剣崎と別れた後、入団希望の三人に伝える、という尋道を一人で行かせなかったのは、ああ見えてファイターな彼の断行を警戒したためであった。もっとも、実際に断行が起きれば、自分では抑え切れまい。もろとも蹂躙されるだろう。憂鬱だ。
「中村塾」は午前中の活動を、ちょうど終えたところだった。皆、クールダウンに取り掛かっていた。
「郷本君。井幡さんが来てる。井幡さんにも話をしてみよう」
スタッフが輪を作っている中に、井幡の姿を見つけた孝子は、小声で喚起した。
「そうですね。中村さんもお誘いして、広く意見を募りましょう」
会場は、前回、ミーティングが行われたのと同じカフェラウンジだ。新舞浜トーアの存在は、伊東の要請により、当分、秘中の秘の扱いとなっているため、当該の施設と密接に関連する演出についても、当然、秘中の秘となる。昼食が済み次第の参加を要請されたのは、舞姫と関わる、春菜、美鈴、佳世、中村、井幡、以上五人だ。興味津々のその他には断りを入れた。
二つのテーブルに別れて尋道の話を聞く人たちの反応は、こちらも二つに分かれた。好奇ないしは好意の表情は美鈴と春菜で、残る三人は程度の差こそあれ困惑顔を見せていた。
「メインボーカルは私だな!」
立ち上がった美鈴が怪しいステップを踏む。
「えー。市井さん、本気ですか?」
佳世が口をとがらせて言った。
「私、歌は全然ですよ。カラオケすら行ったことないです」
「舞は大丈夫ですか」
「いえ。舞も、中学の体育でダンスを、ちょっとやった程度です。すみません。どちらも全然でした」
「わかりました。ご安心を。歌は、優秀なボイスティーチャーがいますので、その人にお願いします。舞は、ロケッツさんのチアの方たちに、協力を要請しようと思っています。可能なら、舞台でも一緒に踊っていただこうかと。大勢いたほうが、プレッシャーも軽くなるでしょうし」
「あ。それなら、多少、下手でも目立ちませんね」
「問題は、ロケッツのチアに、池田みたいな大きな人はいなさそう、ってところだな」
美鈴の混ぜっ返しに場は和む。
「と、問題は、歌か。郷君。優秀なボイスティーチャーって、プロの人?」
「プロですね。希代の、といっていい、すごい方ですよ」
「有名な人?」
「いいえ。声望には、とんと興味のない方なので。求道者ですね」
ちらりと尋道の視線が来た。誰の話をしているのかと思えば、この男、岡宮鏡子を指して、言っていたのか。そういえば、一緒に、という剣崎の誘いを承諾してしまっていた。われながら早計だった。
「へえ。女の人? 男の人?」
「女性です。美貌ですよ。こちらも、希代です」
ようやくわかってきた。大げさな言動で、懐疑的な人たちの懸念を吹き飛ばす腹らしい。ならば、乗ってやるとするか。
「郷本君」
孝子は尋道の肩にぽんと手を置いた。
「なんでしょう」
「事実を並べ立てたって、ポイントは稼げないよ?」
理解の速度には、かなりの差異も見られたが、ひとたび浸透すれば大爆発だ。まずは、二人の競演の第一歩は、奏功したようであった。




