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未知標  作者: 一族
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第二九七話 舞姫(一二)

 おもむろに孝子はショルダーバッグをまさぐり、スマートフォンを取り出した。お得意の電光石火とみて、麻弥たちは鳴りを潜めた。伊東もそれにならっている。

「アートが狂ったみたいにかけてきてるけど、何かあったかな」

 スマートフォンの画面を見た孝子はつぶやいた。

「お誕生日のお祝いじゃないですか。今日でしょう」

 尋道の指摘で納得した。あの情の深い女なら、やりかねない。

「おお。神宮寺さん、お誕生日でしたか。おめでとうございます」

「ありがとうございます。あとで、かけ直しておこう」

「できるだけ早めにお願いしますよ。向こうは、もう夜です」

 アートとはアーティ・ミューア、と知って驚きの声を上げる伊東を尻目に、孝子は黒須へ発信した。

「おう。どうしたね。珍しい」

「今は、お時間、大丈夫でしょうか?」

「ああ。構わない」

「お願いしたいことがございまして」

 こうして孝子は伊東の申し出を取り次いだわけだが、それを聞く黒須は、どうにも気のない様子だ。相づちも、いちいち軽い。

「……真面目に聞いてくださっているのでしょうか」

 ほう、とか、ふうん、の連続に、ついに孝子はしびれを切らした。

「ああ。聞いてる。伊東め、さかしい、と思ってね」

「却下ですか」

「したいところだが、な。怒るだろう?」

「怒りませんよ。虎の威を借るキツネとはいえ、せっかく頼っていただいたのに、お役に立てなくて、面目をつぶされた、って逆恨みはしますけど。丑の刻参りの作法を調べよう、っと」

 こういう物言いが黒須にはたまらないらしい。大音量の笑声に思わず受話口を遠ざける孝子だった。

「くわばら、くわばら。取り殺されてはかなわん。伊東には、うちのFMファシリティーマネジメントじゃなくて、俺に直接、話を持ってくるように伝えてくれないか。君たちにどれだけのことをするつもりか、査定した上で話を通そう」

 交渉は平穏のうちに終わった。

「郷本君。予想は外れたね」

「外れてよかったんですが。では、丑の刻参り、というのは?」

「うん。伊東さま。承諾していただけましたが、あまりいい顔はしていない感じでした。さかしい、とおっしゃっていたので」

「なるほど。ああ。それを、説き伏せていただいたわけですね」

「断るなら取り殺すぞ、って。冗談はおくとして、実際の交渉では、細心の注意を払われたほうがよろしいかと。重工さんのFMではなくて、自分に直接、話を持ってくるように、とおっしゃってましたけど、これで通じますか?」

「はい」

「そこで、私たちにどれだけの支援をするつもりか、査定をされるそうです」

「承知しました。いや、それにしても、大いに期待はしていたのですが、まさか、昨日の今日で話が進むとは。本当に、ありがとうございました」

 伊東は巨体を折り曲げての最敬礼だ。

「カラーズさん。今後のご予定は?」

 孝子は、特になかった。麻弥も同様のはずである。みさとと尋道もだ。

「まずは、私が考えていた見返りを、ですね、披露させてください。その上で、カラーズさんの特に厚くしてほしい部分を聞かせていただき、黒須さんの査定に備えたいと思うのですが、いかがでしょう?」

 もちろん、カラーズは了承だ。ミーティングはロケッツのオフィスで行われることとなった。伊東を先頭に一行は舞台の袖へと戻っていく。

 と、一人、いない。尋道だ。振り返ると、舞台の中ほどで客席のほうを見上げている彼の姿があった。

「郷本君」

「あ。すみません」

「何か気になった?」

「ボックスシートを、バスケの試合でも使えないか、と思って。せっかく、こういうめったにない場所を使えるわけですし、なんとか生かせたらいいんですが」

「やっぱり、相性がいいのは音楽かな」

「そうですね。本来は、オペラとかミュージカルとかが行われるような場所ですし。問題は、バスケとそれらを、どう絡めるか、ですか」

「バスケットボール・オペラ。バスケットボール・ミュージカル」

「……一体、どういうものなんですか?」

「歌いながらシュートして、踊りながらブロックする」

 尋道は失笑だ。

「行きましょうか」

「ちょっと、待っててくれますか」

 孝子は舞台の中央に進み出た。選手に求めるのは無理があるだろう。自分がなんらかの役割を担うつもりもない。だが、このめったにない場所を生かす、という考えには引かれる。問題は、その方向性だ。

「どうされましたか」

 伊東だった。みさとと麻弥もいる。二人が遅いので戻ってきたのだ。

「すみません。行きます。それにしても素晴らしい劇場ですね。なんとか、この場所を生かせないか、って話をしていました」

「バスケットボール・オペラとか、バスケットボール・ミュージカルとか」

「それは、どういう……?」

「そこだけ抜き出さないでください」

 赤くなった孝子を尻目に、尋道はオペラやらミュージカルやらが出てきた経緯を語っている。

「ははあ。なるほど。確かに、バスケをするだけではもったいない。私どもも、いろいろと考えてはいるんですが、なかなか。そうだ。この劇場のセールスシートをお持ちになってください。ご覧になって、いいアイデアがあったら、こちらにも一枚かませてください」

 伊東から受け取ったセールスシートを見て、孝子は内心でうなったものだ。劇場の設計と施工を担当したのはトリニティ株式会社と記されている。なんという符合であろうか。といっても、世界有数の総合音楽企業として有名なトリニティ株式会社の出現が、ではない。そこは不思議でもなんでもなかった。孝子と、トリニティ株式会社に所属する、とある音楽家とが相識の間柄であった点が、だ。

 剣崎龍雅に声を掛けてみよう。孝子は決めた。

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