第二九六話 舞姫(一一)
「ここでバスケを……!?」
麻弥がうめいた。
「はい。カラーズさんのチームも、ここで一緒にやりましょう。あなたたちのチームのホームアリーナとして、どうか、使ってください。これが見返りの目玉と自負しておりましたもので、こちらにご案内した次第です」
衝撃に、伊東以外は無言で舞台上をうろついている。孝子さえ、その中の一人なのだ。一行の動転の度合いがうかがい知れるというものだった。
「伊東さん。ここで、バスケットボール、できますか?」
一通り回ったところで、孝子は伊東の下に戻った。狭くないか、と確認したのだ。確かに、舞台を見渡すと、バスケットボールのコートにしては、手狭に感じられる。
「壁が、動きます」
言って、伊東は舞台の上手と下手と奥の、でこぼことした壁を指した。
「この壁は、音響反射板といって、音を反射させて客席のほうに飛ばす役目を持っているんですが、今はクラシックコンサートとかに対応した、一番、小さくなっている状態なんですね。バスケのときは、どん、と広がります」
「そんなすごい仕組みがある場所は、当然、高いですよね。カラーズでは払えないと思います」
「ご心配には及びません。無料で提供させていただきます」
「……みんな。集合」
二人の会話に気付かず、みさとなどは舞台を下りて、客席のほうにまで進出していた。慌てて駆け戻ってくる。
「ここ、ただでいいんだって」
麻弥、みさと、尋道の視線が複雑に絡み合った。いくらなんでも異常だ、と考えているのだろう。孝子とて同じだ。
「やあ。説明不足でした。みかん銀行さんのチームでしたか。継承ならびにその後の運営まで助力させていただこうと考えていますが、むやみな施しをするつもりはありません。こちらを無料で提供というのも、それなりの制限がありますので、そこは、ご了承ください」
「どういった制限でしょう?」
「私どもが、こちらでゲームを開催する日の早い時間に限ります。床の入れ替えや壁の移動に時間がかかって、どうせ終日借りなくてはならないので、空いた時間に提供する、という程度です。集客への影響は間違いなくあります。こんな条件で、金を払え、とは言えないので、無料、と言っただけです。重く考えないでください」
「早い時間、っていうのは具体的にはどれくらいになるんでしょうか? 朝の六時とか、七時とか?」
尋道が問うた。
「いやいや。さすがに、そこまで早くは。そうですね。私どもが昼に試合があるときには、午前中で終わっていただきたいので、午前一〇時ぐらいでしょうか。ああ。延長戦を考慮したら、もう少し早くだ。九時ですか。これは、相当、早いですよ。夜の試合であれば、そこまでタイトではないのですが。とにかく、私どもが昼のときが厳しい」
興行が主に週末に行われるのは、多くが休日で、来場者が見込めるためだ。その、せっかくの休日に、普段の出勤や登校とあまり変わらぬ時間から動かなくては、となると、そこまでして、と考える者だって一定数いるはずだった。こちとら人気抜群のメジャースポーツではない。マイナースポーツである。確かに、厳しい。
「その代わり、試合の運営はロケッツで面倒を見させていただきますよ。ロケッツの誇るチアも出します。バスケだけしていればいい、というぐらいにサポートしますよ」
どうにも過多である。事前に受けた説明だけでは、得心しかねる待遇だ。四人の心境は伊東の察するところとなったようだ。
「いぶかしく思われるのも当然です。説明させていただきましょう。こちらをただにする以外にも、見返りはまだまだご用意していますが、そこまでして私が神宮寺さんのお力添えを求める理由を、ですね」
「お願いします」
「先ほど、お話ししたとおり、舞浜ロケッツは再来シーズンから、こちらをホームアリーナとするわけですが、そもそもロケッツには日本最高峰と称してもいいホームアリーナがあるんですよ」
「THIアリーナですね」
みさとが応じた。
「そうです。皆さんは、THIアリーナに行かれたことは?」
「私、あります。テニスの試合を見に」
ここもみさとだ。彼女以外の三人は一様に首を横に振っている。
「そうそう。テニスもできるんでしたね。斎藤さんは、あそこ、観客が何人入るか、ご存じですか?」
「三万ちょっと、じゃなかったですか?」
「そうですね。ロケッツの平均入場者数が七〇〇〇弱なので、四分の一も埋められていない計算になります。はっきりと、オーバースペックですが、重工グループの一員としては、使わざるを得なかった。一試合ごとに、とんでもない額が出ていきますよ。こちらを」
伊東は持参のアタッシェケースを開き、ぺらを取り出した。手渡された孝子は、一瞥して、そのままみさとに回す。
「こら」
「決算の資料みたいだし。得意でしょう。伊東さま、この子は、多分、今年で税理士試験に合格する、当社のエースなんです」
「なんと。では、斎藤さんに補足していただきながらいきましょう。斎藤さん。それは、ロケッツが所属するリーグの、各チームの決算概要をまとめたものなんですが、試合関連経費に注目していただけますか?」
「……ロケッツさん、ぶっちぎりで高いですね。THIアリーナのせいで?」
「そうです。子会社は割引など一切ないので、会場の使用料だけで一試合ごとに一〇〇〇強、出ていきます。なんやかや合算すると、二〇〇〇を超えます。それでいて、飲食やら物販やらは、全てアリーナに持っていかれるので、本当に、とんでもない話です。やってられません」
嘆息が滴り落ちている伊東だった。あぐねきっている、というわけだ。
「一方、こちらは五〇〇〇しか入りませんが、使用料はTHIアリーナの五分の一以下で、飲食、物販の売り上げは全てロケッツに入ります。地所に食い込んで、やってやりましたよ」
地所とは、重工グループの一員、高鷲地所株式会社のことだ。新舞浜トーアの建設主体が、この高鷲地所である。伊東は、そこと交渉を重ね、なんとバスケットボールもできる劇場という、珍奇なものを作らせた上に、有利な使用条件も引き出したのであった。全く、ものすさまじい。
「これで、なんとしてでも、私がホームアリーナを移転したい事情は、おわかりいただけたと思います」
「ざっくり言えば、支出が減って、収入は増える、と。五分の一とか、今までゼロだった飲食、物販の売り上げが入ってくる、となるば、チームが変わりますね」
「そうなんです。全てのステークホルダーに対して、もっと投資できるようになります。斎藤さんのおっしゃるとおり、チームが変わります」
「あとは、重工さんに移転を認めさせる段、ですね」
「ええ。私どもに対する扱いでもわかるように、とにかくヒエラルキーを重視する会社ですよ、重工は。子会社なんて、ちりあくたのように考えている。普通に願い出ては、どれほどの艱難辛苦をすることになるものか。想像もできません。そこで神宮寺さんにおすがりしたいのです。重工ににらまれることを考えたら、どれだけの見返りを提供しようと、安いものなのです。なんでもおっしゃってください。ほとんどの要求には応じられると思います。なので、どうか、よろしく私たちへのお力添えをご検討ください」
判断の基準は出そろったようだ。残るは孝子の決断次第となった。どう出るべきか。重大な一挙となりそうであった。




