第二九一話 舞姫(六)
ここまで蚊帳の外にいた静とすれば、驚愕以外に表現のしようがない。午前の練習中に聞いた第一報から、わずか小一時間で、どこまで話は進展していくのか。カラーズによるみかん銀行シャイニング・サン継承の一件だ。
体育館の一階奥にあるカフェラウンジには、手早く食事を済ませた「中村塾」、桜田大男子バスケ部員、全日本スタッフ、さらには、アストロノーツ勢までも集って、ごった返していた。尋道の到着を待ってカラーズによる公開のミーティングが行われるのである。
カフェラウンジの高い天井まで届くガラス越しの空は晴れ渡っている。差し込む日差しと暖房の効果に人いきれが加わって、二月だというのにカフェラウンジは大変な暑さだ。到着した尋道も、そう感じたようである。出迎えたみさとに向かって、顔をしかめてみせている。
「なんの騒ぎですか。おまけに暑い」
「いや。大注目だね。これで、やっぱやらね、って言ったら、みんな、ずっこけるね」
「誘惑に駆られますね」
残るカラーズの二人が陣取る窓際のテーブルへ向かう途中で、「両輪」の視線が、一瞬、絡み合ったようだった。
「おい。よしてくれよ。もう俺は手助けをさせてもらうつもりで満々なんだ」
隅のほうに中村、木村を従えて座っている黒須が言った。
「では、黒須さま。一つだけ、ご助力をお願いしてもよろしいでしょうか?」
みさとが、ずいと出た。
「一つだけ、だと? おい。遠慮はいらんぞ」
「いえ。今は一つだけ、お願いします」
「ふむ。その一つとは、なんだ?」
「はい。アストロノーツさんにも都合はおありとは思いますが、来年度の新人として、静ちゃんを獲得していただけるよう、木村さまに依頼していただけませんか?」
「なんだと……?」
静はぴんときた。「中村塾」への参加を持ち掛けられたときに提示された役得の一つだ。塾での活躍が、景、高遠祥子、伊澤まどから鶴ヶ丘高校女子バスケットボール部の仲間の再集結につながる可能性がある、と言われていた。静も大いに乗り気の役得であった。既に祥子はアストロノーツに所属している。景とまどかの実力なら、放っておいてもお呼びが掛かる。残るは、静だ。普通に考えれば、身内の関わるチームに所属するのが自然である。それを回避し、当初の目当てどおりにアストロノーツに送り出そうとしてくれている、とみた。そういえば、みさとは尋道を待つ間、黙々とスマートフォンを操作していた。きっと二人で打ち合わせをしていたのだろう。
「私どもは今回の件を非常な難事業になると考えています。攻めて、攻めて、攻め抜かなければ、成功はおぼつかない、と」
カフェラウンジは物音一つしない。皆がみさとの話に聞き入っていた。
「ちょっと話は飛ばさせていただいて。皆さんは当社の社章をご存じでしょうか。盾に傘をあしらって、社内では『アンブレム』なんて呼んでるものなんですが」
そう言うと、みさとは名刺を片手に駆けずり回る。「アンブレム」の実物を示しているのだ。終わると、そのままカフェラウンジの中央に進む。
「この『アンブレム』の由来が、静ちゃんの傘になり、盾になるというものでした。ただ、傘と盾で両手がふさがっていては攻めに転じられません。アストロノーツさんに静ちゃんを託すことができれば、カラーズはただのベンチャーになります。存分に戦えます。いかがでしょう?」
「それだけか? 本当に、それだけでいいのか?」
「はい。それだけ、引き受けていただければ、もはや思い残す何物もございません」
「ううむ。よかろう。神宮寺君の妹は黒須貴一が引き受けた。君たちの骨は俺が拾ってやる。存分にやってみたまえ」
「まあ。骨なんて、縁起でもない」
みさとは華やかに笑っている。後で聞いた話によると、みさとと尋道は、静をアストロノーツに送り出す以外に、もう一つ、仕込みをしていたらしい。シャイニング・サンの継承について、干渉しない、と黒須の言質を取ることだ。過去の孝子と黒須の交渉に鑑みて、二人の相性の悪さは、もはや疑うべくもない。それでいて、孝子に対する黒須の愛着は激しいのだから、始末が悪い。
これまではカラーズの業務に、直接、黒須が関わる余地はなく、平穏であった。だが、チームの継承、運営となると話は変わってくる。難事業に挑むカラーズに、ここぞとばかり、加勢してくるはずだ。そして、間違いなく孝子は、この手の行為を喜ばぬ。いずれ怒りが激発する。浅からぬ縁となった高鷲重工との隔絶を防ぐには、なんとしても、その事態だけは防がねばならなかった。二人が導き出した結論が、芝居がかった物言いだ。攻め手は他にもあったろうが、この類いが最も効く、という読みは当たって、黒須の言質は取れた。見事な一石二鳥となったわけである。カラーズは、やはり、この二人なのだ。




