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未知標  作者: 一族
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第二八話 春風に吹かれて(一一)

 舞浜市南東に位置し、その東と南を東京湾に面する南区千鶴(ちづる)は、全域を指して「臨海産業団地」と呼称される。埋め立てで造成された上には、大小の商工業施設が立ち並び、その中央部に鎮座するのが舞浜大学千鶴キャンパスだ。

 舞浜大学の開学の地は、舞浜駅にも近い北区双葉である。北区双葉は一等地であるが故に、大学施設の拡充は用地取得の面から極めて困難であった。検討の結果、大学の本丸である医学部以外の移転が決まり、選ばれたのが、出来たてほやほやの「臨海産業団地」だ。本丸以外と目された教育人間学部、商学部、法学部、理工学部の関係者には、追い出された恨みが残ったというが、それも三〇年も昔の話である。当時を知る者は、もはや少ない。

 月曜日。孝子の一時限目の講義は体育だ。必修科目の体育は、曜日も時間も指定に従うのみとなる。

「週の始まり早々にお疲れ。私は金曜の三時限で、後は帰るだけ、って。気楽だったな」

 履修を終え、人ごとの麻弥の言葉に、孝子も苦笑いしかない。

 広大な敷地を有する千鶴キャンパスは、学生施設、学究施設に加え、スポーツ施設も充実している。陸上競技場、サッカー場、野球場、体育館、テニスコート――このうち、孝子が選んだソフトボールは野球場で講義が行われる。講義といっても、体育系の学部でもない限り、大学で体育が真剣に行われることは、ほぼ絶無だろう。大方がレクリエーションの延長の域を出ない。熱心にタイムを計測したり、スキルを指導したり、という教官に当たったなら、それは運がいいのやら、悪いのやらだ。

 孝子が選択したソフトボールの担当教官もレクリエーション派だった。男女混成で行う講義で女子生徒たちには、危険だから、と守備を免除し、バッティングだけ、と指示を出す。孝子は中学、高校とソフトボールの経験者である。中学の時は、友人の女子ソフトボール部設立運動に巻き込まれ、高校の時は、部員が二人しかおらず、存亡の危機にさらされた女子ソフトボール部に加わり、といった具合だった。いずれの場合も、上級生がいない、あるいは、すぐにいなくなる、という事実に気付いた故に参加した。ちなみに麻弥も同様の理由で、中学、高校とソフトボール部だった。

 動機は不純だったが、競技は楽しかったので、孝子の腕前はそこそこ成長した。男子生徒が遠慮がちに投げる山なりのボールを打ち返すなど造作もない。孝子は左打席に立った。中学で全員が右打者だったため、器用そうなので、と指定されたのが左打ちの理由であった。そして、野球やソフトボールを素人がやる場合、あまりボールが飛んでこないがため、二塁手、右翼手に下手が回される場合が多い。孝子の引っ張った打球を二塁手、右翼手が連続でトンネルした。

「お姉さん、ナイスバッティング!」

 三塁上に立った孝子に、次打者の春菜は大騒ぎしている。春菜も孝子に従ってソフトボールを選択していた。

「走って疲れた。歩いて帰らせて」

「わかりました」

 言った側は冗談のつもりだったのだが、左打席に立った春菜は見事なスイングでボールをスタンドに運んでみせた。

「麻弥ちゃんでも、あんなに飛ばしたのは見たことがないよ」

 二時限目に向けて講義棟に移動する最中の、孝子の言葉だった。

「正村さんもソフトボールをなさってたんですね」

「すごかったよ。かっこよかった。でも、あんなには飛ばさなかった」

「私は肉厚なので」

 同程度の身長の麻弥でも、春菜の後ろに回れば、前方よりその姿を視認できないだろう。それぐらいに素晴らしい体格の春菜だ。

「私もこれぐらいたくましかったら、スタンドまでボールを飛ばせるかな?」

「駄目ですよ。こんな体つきのお姉さんなんて。いけません。絶対にいけません」

 意外に強く反論がきた。

「どうして?」

「似合いません。想像してみたらわかります。お姉さんは、すっきり、清らかでないと。ちょっと待っててください」

 春菜は背負っていたリュックサックからスマートフォンを取り出した。

「お姉さん、一枚いいですか?」

「何をするの……?」

「お姉さんの顔と私の体を合成してみます」

 あきれながらも孝子は撮影に付き合った。まず春菜が孝子の全身を撮影する。続いて、借りたスマートフォンで孝子が春菜の全身を撮影だ。しばらくスマートフォンとにらめっこしていた春菜が、やがて、できました、とスマートフォンを孝子に差し出した。

「想像以上に、ひどかったです」

「どういう意味で?」

「見てください。お姉さん、笑い過ぎないように」

「大丈夫」

 一瞬の後、孝子は前言を、豪快に翻す。小さな顔と大きな体のアンバランスさは、奇っ怪なレベルに到達していた。真顔の写りが拍車を掛けた。あまりの大笑いに、周囲は二人を注視し、さすがの春菜が焦って孝子の口を手のひらで押さえたのだった。

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