第二八六話 舞姫(一)
ダイニングテーブルの隅にあった正村麻弥のスマートフォンが鳴った。じろりと神宮寺孝子は親友の横顔を見た。
「ごめん。マナーモードにするの忘れてた」
「無作法者」
麻弥が電話に出た後も孝子は続ける。
「せっかくのだんらんに。私が麻弥ちゃんの母親だったら、へし折って捨てる。四六時中、身近に置いておかないと気が済まない、その神経がわからない」
午前七時の海の見える丘は、朝食の真っ最中だった。メニューは、いつもどおり魚介を主菜に据えた淡泊なやつである。
「うるさい。聞こえないだろ。……ああ。悪い。マナーモードにしてなかったんで、孝子にぼろくそに言われてる。うん。え? 暇だけど」
麻弥、送話口を抑えながら孝子を見た。
「この後、っていっても春菜たちを送った後だけど、暇か?」
「中村塾」の活動は二月に入って、開始時刻を大幅に早めたフルタイム制へと変わっていた。大学生の北崎春菜と須之内景が春季休暇に入ったことで実現可能となった。雪吹彰以下七人の桜田大男子バスケ部組も同様だ。万全の態勢となったわけである。
「暇だけど。どうしたの?」
「斎藤が、SO101に集合、って」
電話の相手は斎藤みさとだったようだ。
「大丈夫」
「わかった。オーケー。行ける。で、なんの話だ?」
しばらく麻弥の相づちだけが部屋に響いた。は、とか。なんだそりゃ、とか。声の成分を分析すれば困惑が九〇パーセント超といったあたりだろう。心楽しい話題ではなさそうだ。
「斎藤さん、なんだって?」
通話を終えた麻弥に孝子は尋ねた。
「うん……」
「正村さん。今、私を見ましたね」
春菜が身を乗り出してきた。
「そうなの?」
麻弥は眉間には深いしわである。
「言いにくい話?」
「いや。そういうわけでもないんだけど……」
「じゃあ、言って」
「孝子、ちょっと……」
麻弥が口を寄せてきたのを孝子は首を振って払った。
「いいから。早く言って」
麻弥、うなっている。どうにもはっきりとしない。
「言ったら、あいつ、塾をサボるぞ」
「早く、って私が言ったのは聞こえなかったの?」
「もう。すぐに怒る。わかったよ。……みかん銀行の女子バスケチームが廃部になるんだってさ。去年の全日本選手権で鶴ヶ丘にやられたところだけど、覚えてる?」
「覚えてるよ。シャイニング・サン、だっけ。廃部の話も、前に木村さんに伺ったかな。そう。決まったんだ」
「地銀の経営も厳しくなる一方、みたいな話をされていらっしゃいましたね」
春菜も思い出したようでうなずいている。
「知ってたか。で、その廃部になるチームの継承を、カラーズがやってみないか、っていう話がダイアリーの山寺さんからあったらしい」
「え……?」
孝子はもちろん、春菜さえけげんな表情だ。理解が追い付かない。『バスケットボール・ダイアリー』誌編集長、山寺和彦は、一体、どういうつもりで、そんなことを言ってきたのだ。
「すごい!」
一人、興奮しているのは佳世だった。
「もしそうなったら北崎さんと一緒に入りますよ!」
叫んで、隣の春菜に抱き付いている。
「ああ……。孝子がトップのチームなら、春菜も勝手はしないだろうし。春菜がいれば、池田も安心か。面白いのかもな」
「確かに」
がぜん興味が湧いてきた様子で春菜も目を見開いている。
「待って。カラーズの、どこにそんなお金があるの。チームの運営って、そんな簡単なじゃないよ。絶対に」
孝子の叱声で会話はひとまず終了した。一つには、現時点での情報があまりに少ない、ということもあった。続きはみさとと合流してからにするのが適当だったろう。




