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未知標  作者: 一族
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第二八五話 ひと模様、こころ模様(三〇)

 ダナ・ドアティはアーティと同じ二一歳。つまり孝子たちとも同い年だ。一八五センチ、七八キロの鍛え抜かれた肉体を武器に、この二年ほどで一気にランキングを上げてきた新星である。「褐色の巨砲」と称されるパワー全開のプレーがダナの特徴だ。また、細かい技術もなかなかに達者で、一見、付け入る隙のないプレーヤーに思われる。

「ただ、メンタルが絶望的に弱い。ちょっとでもうまくいかないと、すぐになよなよしちゃって、そのままずるずる負けるのがダナのパターンね。とにかくもろいんだ、ダナは」

 元テニス部の解説だ。よって、圧倒的な能力を誇りながら、主要大会での優勝経験はなし、という。オーストラリア選手権女子シングルス決勝も、いわゆる、ダナのパターン、になりかかっていた。わずか一〇分ほどで第一セットを取ったはいいものの、第二セットでは自分のサーブミスから一気に崩れて、対戦相手の息を吹き返させてしまったのだ。

「不思議だよな。普通にやったら、絶対に負けそうにないのに」

 小柄な対戦相手を顎で指して麻弥が言った。イギリスのノエル・アストリーだ。

「静とアーティぐらい体格が違うだろ」

「小柄でもノエルは本当にタフだし、何より粘り強いんだよね。相手がミスするまで執念深く待てるんだよ。ダナが一番苦手なタイプね。多分、このまま負けるわ。アーさまも、せっかく応援に行ったのに。がっかりだろうね」

 第二セットを失ったダナは第三セットも押しまくられて、三ゲームの先取を許してしまう。ベンチに座ったダナの目はうつろで、大粒の汗、締まりなく開かれた口が、彼女の心理状態を如実に示していた。持ち直すのは、どう見ても容易ではない。絶体絶命である。

 SO101でも、もはやこれまで、とばかりにすっかり弛緩し切っている。

 と、その時だった。

「――Daaaaaaanaaaaa!」

 やじ、ではない。

「せっかく応援に来てやったってのに、なんて試合をしてるのよ! このまま負けたら飛行機代とホテル代とチケット代、全部、払わせるわよ!」

「アートだ……!」

 孝子は大笑し、麻弥とみさとはあぜんぼうぜんだ。

 声は続く。

「顔を上げなさい! 胸を張りなさい! ダナ! いい? 私に一生、今日のゲームを笑われたくなかったら、勝ちなさい!」

 声の主がテレビに映った。GT11のポロシャツとデニムパンツをまとった金髪女が、コートサイド席の最前列で仁王立ちしている。隣にはエディの姿もあった。ぽかんと妹を見上げた顔に、孝子はまた笑う。

「おお。さすが、アーさま。いい席だ。これは、払わされたら、ちょっと痛いぞ」

 カメラが切り替わった。ダナを映している。立ち上がり、ラケットのヘッドをアーティに向かって掲げると、にやり。すごみのある笑顔を浮かべた。

「これは、よみがえったかも……?」

 みさとの予想は的中した。ダナの怒濤の反撃が始まったのだ。持ち前の身体能力を生かしたテニスでノエルを圧倒し、一気呵成の逆転劇だ。

「Daaaaaaa! Naaaaaaa!」

 ダナのウイニングショットが決まった瞬間に、絶叫しながらアーティがコートに乱入してきた。ダナを抱え上げると、ぐるぐる、一八五センチ、七八キロの肉体を、振り回す。

 無邪気にはしゃぎ回っている二人が、はたとその動きを止めた。ブレザーをまとった関係者たちに、十重二十重に取り囲まれたのだ。当然ではある。立派なちん入者なのだ。

 直後に行われたセレモニーのウイナーズスピーチで、ダナはちん入者について言及した。それはノエルをたたえるさなかでの一節だった。

「これまであなたとは二回対戦して、二回負けていました。そんな強いプレーヤーであるあなたに、今日、ようやく勝てました。でも、それは私だけの力で成し遂げられなかった。私の親友の応援のおかげでした。紹介させてください。私の親友を」

 ここで見事だったのはノエルだった。関係者に包囲されつつも、センターコートの隅にとどまることを許されていたアーティの下に走り寄って、その手を引いてきたのだ。

「ああ、ノエル。あなたは本当に素晴らしい人です。ありがとう。本当に、ありがとう。皆さん。彼女が私の親友、アーティ・ミューアです。……アカデミーでは肌の色と貧しさを侮られて、いつも独りぼっちだった私に初めて声を掛けてくれた人です。私より半年遅れてアカデミーに入ってきたくせに、一〇歳も年上みたいな言い方で、お前、なかなか強そうね、なんて言った人です。アート! あなたとの出会いが、私の孤独と屈辱の日々を終わらせたのよ! あなたがいたから、今の私がいるの! この勝利を、あなたにささげるわ!」

 アーティのマイク要求だった。しんとしたセンターコートに、アーティの声が響く。

「ダナ。賞金もささげてくれるの?」

 大爆発である。

「完璧! アーさま、完璧!」

 SO101も同じく大爆発だった。笑い転げていたところを、ようやく回復したみさとが叫んだ。

「さすが、アート。初対面の日本人を家に連れ込んだ女。昔から、そんなことにとらわれなかったんだね」

 孝子の述懐の後は、三者三様の、しっとりとしたため息だった。テレビには笑顔で語り合うアーティとノエルの姿が映っている。会場も少しずつ落ち着きを取り戻しつつある。ダナのウイナーズスピーチの続きが始まった。

 アーティによるオーストラリア選手権女子シングルス決勝への介入は、大過とならずに終わった。全く感心のできない軽挙妄動であったのは間違いない。しかし、おそらくはマイナスの方向に、絶大の影響を受けたであろうノエル・アストリーが、一切、騒ぎ立てず、事態の消火ならぬ「笑化」に一役買ってくれたのは、誠に大きかったといえる。

 このノエルの姿勢は正しく報われた。

「ダナは栄光を得たが、ノエルはより大きな声望を得た」

 今回のオーストラリア選手権女子シングルス決勝について、海外の専門誌が評した一文だ。「シルバークイーン」を返上して、念願のチャンピオンとなったダナよりも、当意即妙の配慮で、その人徳を知らしめたノエルを称しているのである。

 まあ、仕方なかったろう。アーティの一喝によってダナが立ち直ったのは事実である。あの介入がなければ、おそらく結果は違っていたはずだ。不当に得た勝利への、天の配剤と考えるしかない……。そう語ったのは、オーストラリア行きの顛末を孝子に伝えてきたエディだった。

「しかし、参りました」

「お察しします」

「いえ。アートの話ではなくて。実は、タカコサンにいただいた曲を、いよいよ披露しようと思っていたんですよ。二月八日を予定していたんですが、ちょっと難しくなりましたね」

「どうしてでしょう?」

「アートの行動が売名のため、と解釈されかねません。アートとダナの友情は本物です。そういう底意地の悪い見方をされては二人がふびんです」

「本当に」

「しかし、残念ですよ。二月八日。タカコサンに驚いていただきたくて、秘密にしていたんですけど」

「……エディさん。どうして二月八日に?」

「二月八日はタカコサンのお誕生日じゃないですか」

 アートよ、よくぞオーストラリアの地で大暴れしてくれた。胸中で孝子は、大いにアーティを称揚するのだった。

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