第二八一話 ひと模様、こころ模様(二六)
「中村塾」は月曜日と金曜日を定休としている。この両日は参加者たちにとって一息つける貴重な安息の機会となる。静ら舞浜組や日本リーグ勢は、休養のため、あるいは、活動報告がてら所属先のチームに戻るため、重工体育館から姿を消す。
しかし、アストロノーツ所属の選手たちは違う。体育館内に整備された寮が彼女たちの住まいだ。月曜も金曜も変わらず、この場所にいる。中でも極め付きは武藤瞳である。数日にわたって体育館を出ないことも珍しくない出無精だった。ところが、一月中旬の、この金曜日は違った。
全日本バスケットボール選手権の期間中、中断されていた日本女子バスケットボールリーグの再開を明日に控えて、メインアリーナではアストロノーツの選手たちが、めいめいに夕食後の自主練習に励んでいた。
「あれ。武藤、どっか行くの?」
選手たちの自主練習に付き合っていたスタッフの女性が、メインアリーナにやってきた瞳に声を掛けた。珍しくジャージー姿でなかったため、目に留まったのだろう。
「はい。飯に行ってきます」
「あれ。お前、さっき、食堂にいなかったっけ?」
「控えておいたんで大丈夫です」
「ん? お呼ばれか?」
「静の姉さんに」
「おお。いいなあ。あの人と一緒なら、いいもの食べられそう」
「その代わり、量は少なそうですけどね。寮長は……?」
選手の外出届を取りまとめる役目の寮長が見当たらない、というのだ。
「ああ。ちょっと、足をひねって、二階。外出届でしょ? 預かっとくよ」
重工体育館の二階には、メディカルコンディショニングルームがある。
「お願いします」
用紙を提出した瞳はきびすを返した。待ち合わせは午後七時。体育館北側のエントランス前だ。
外に出ると同時に青い車が目の前に横付けしてきた。
「あれ。待たせましたか?」
助手席側のドアを開けて、運転席に座る孝子に声を掛けた。
「いや。どんぴしゃりで着いたところだよ。須美もんが出てきたのを見たときは、おっ、って思わず言ったもの。……それにしても」
じろりと孝子は瞳を見る。
「須美もんのファッションセンスよ。もうちょっとおめかししてきなさい」
赤いフリースジャケットにデニムパンツという服装を言っているのだろうが、
「春谷もんも同じじゃないですか」
孝子とて青いフリースジャケットとデニムパンツの組み合わせである。
「一緒にするでない」
「もしかして、高級品?」
「うむ。上下で五〇〇〇円もする」
「……私のとほとんど同じじゃないですか」
二人で大笑である。瞳は福岡県春谷市須美町出身だ。一方の孝子は、隣町の福岡県春谷市春谷町出身である。春谷市という共通の話題で意気投合したのが最初だった。今では互いの関係する町名に「もん」を付けて軽口をたたき合うなど、すっかり気の置けない間柄となっている。
車が動きだした。
「春谷もん、マニュアルなんですか」
孝子のシフトレバーさばきを見た瞳の問いだ。
「そうよ。須美もんは?」
「免許、ないです」
「新舞浜の一等地に住んでれば、なくても大丈夫か。でも、アメリカに行くんだったら、持っておいたほうがいいよ」
「はあ」
「静ちゃんにはアート、市井さんにはアリーっていう出会いがあったけど。あんな奇跡は、そうそうないよ。あらゆる状況に対応できるよう準備を整えておいたほうがいいと思うな。英語は?」
「全然」
「何をのんびりしてるの。勉強を始めなさい。塾のお休みの日なんて、勉強にうってつけじゃないの」
「はあ」
「生返事をするな。免許と英語、すぐに取り掛かれ。須美もん。おはるとの決戦の場は、おそらく、アメリカになるよ」
「え……?」
自らを御し得る存在のない日本では、大学が最後のプレーの場になるだろう。その後もバスケットボールを続けるとすれば、比較的、自主性を尊ぶ気風のあるアメリカではないか。過日の春菜の言という。
「確かに、あの子が実業団でプレーする姿って、想像できないね」
「成績はいいみたいですけど、まるでなってませんしね。態度が」
「実感がこもってるね」
つつかれては苦笑しかない。春菜の言動に憤激した経験のある瞳なのだ。
ふと思い至った。
「春谷もん。もしかして、突然、飯に誘ってくれたのって、今の話、ですか?」
「そうだよ。須美もん、どうにも、煮え切らない感じがして。しゃんとする」
その後も、ぐいぐい押し込まれているうち、車は目的地へ到着した。土地勘のない瞳に判断できなかった場所は小磯駅だ。フレンチレストラン「ア・ラ・モート」が晩餐の会場であった。もっとも、引き続き孝子に締め上げられたおかげで、初めてのフランス料理の味は、ほとんど瞳の記憶に残っていないわけだが。




