第二七九話 ひと模様、こころ模様(二四)
武藤瞳のLBA挑戦について、カラーズは静観を決め込んだ。今年はユニバースに懸ける、という瞳の宣言があったのはもちろんだが、カラーズのエグゼクティブ・アドバイザーの見解も効いた。
「瞳ちゃんもLBAですか。いいですね。でも、今年はやめたほうがいいでしょう。ユニバースうんぬんは関係なく、もうちょっとアウトサイドをうまくならないと。必ず失敗します」
日本人の中にあっては破格となる、一八七センチ、八四キロも、LBAでは並となる。間違いなく、アストロノーツ、全日本でのポジションであるセンター、パワーフォワードからコンバートされるだろう。
「スモールフォワードですね。それにしては、瞳ちゃん、アウトサイドのシュートがまだまだです。いまいち使い道がないな、となってベンチ行きは確実ですね。それ以前の問題として、チームの獲得リストに名前が載らないかもしれません。そちらのほうが可能性は高そうですよ」
意識してアウトサイドを見てあげましょう、と言った後で春菜はにやりだ。
「私としてはスモールフォワードの瞳ちゃんは大歓迎ですけど。全日本にとっては悩ましい事態になるでしょうね」
万能の春菜だが、主戦場としているのはスモールフォワードだ。挑んでくるなら受けて立つ、その気概を述べたわけだ。
一方、屈強の瞳がLBAでスモールフォワードというのは、全日本にとって明らかな機会の損失になる。どうせなら世界の巨人たちとの丁々発止を経験してくれ、と考えるのが自然であった。
「日本リーグが外国籍選手の登録を解禁してくれれば、難しく考えなくてもいいんでしょうけど」
「解禁したら、結局、背の高い人に追われて須美もんのポジションは変わっちゃうんじゃないの?」
孝子の至極当然な問いに対する春菜の答えは、こうだ。
「重工は外国籍選手禁止です」
「……ああ。他のチームの外国籍選手と戦うんだ」
「はい。重工ほどのチームなら、ただ勝つばかりを考えるのではなくて、それぐらいはやってほしいものですね。そうだ。もう一つ、案があります」
「聞きましょう」
「重工に、LBAのどこかのチームのスポンサーになってもらいます」
「で、須美もんを中で使え、って命令を?」
「そのとおりです。そうでもしないと瞳ちゃんは中で使われません」
「でも、それじゃ、須美もんが、お金でポジションを買った、って言われない?」
「言われるでしょう。ちょっとでも下手をすると、袋だたきになります。精神的にも鍛えられて一石二鳥ですよ」
前者はともかくとして、後者は暴論の類いだろう。いくら高鷲重工がスポーツの振興に熱心とはいえ、女子バスケにそこまで入れ込む意義があるのか。いや、ない。無論、発言者も承知の上だ。
「けだし『めい』案といえましょう。迷うほうの『めい』ですが」
冗談めかした春菜のまとめだった。
片や、こちらは静観とはいかなかった。佐伯達也の件だ。舞浜F.C.から受けたスカウトの応否を佐伯は決めた。契約を結ぶ、と。
佐伯の覚悟が定まったのは、氷室の激賞を受けたためだ。元旦に行われた「蹴り初め」の後、クラブハウス内で行われた懇親会の席である。かつて対戦した経験で「技術、は、ある」選手と知っていた。今回、あの奥村が買ったほどの選手、と鵜の目鷹の目で観察すると「技術、は、ある」どころではない、と気付いた。プロにも、そうはいない名手だ。あとは、フィジカルさえ鍛えれば、怖いものなしになる。念のため、佐伯の担当スカウトに確認したところ、氷室と同じ考えであった。不安になる必要はない。成功は堅いだろう。きっとF.C.に来てくれ。一緒にやろう。しまいにはほとんど勧誘になっていた。
佐伯はF.C.との契約に先立ち、カラーズ入りの希望を述べた。この意志を請け、孝子が佐伯の担当に指名したのは尋道だ。直ちに活動を開始した尋道が、手始めに提言したのは、佐伯と舞浜F.C.とを取り持つ役目を、カラーズともなじみの深い相良一能弁護士に振ることだった。
「サッカーの世界では、契約事に介入するには仲介人としての登録が必要だそうですが、相良先生、その登録をされてるんですよ」
海の見える丘に関係者を集めて行われたミーティングで、その意図は説明された。
「お。やっぱり郷さんも知ってたか。私も、今、それを言おうと思ってた」
「ご機嫌伺いで小耳に挟んだんですが、斎藤さんも?」
「うん。相良先生、カラーズと関わったのが契機になって、スポーツ法務に進出したんだってね」
みさとの機嫌伺いは本当としても尋道はうそだ、と孝子は思った。岡宮鏡子についての折衝をしていたときの世間話あたりに違いなかった。尋道の鉄面皮といったらない。
「相良先生は、サッカーの仲介は初めてですが、契約社会といわれるアメリカのLBAに関わった経験もおありなので、臨機応変に対応していただけると思います」
「うん」
佐伯が大きくうなずいた。
「相良先生にはご内諾いただいていますので、この方向で話を進めてもいいですか」
「お願い」
「わかりました。佐伯君は大会があるので、後は、相良先生と僕とでやりましょう。逐一、報告しますよ」
「うん」
「あの、ちょっと気になったんですけど」
ここまで尋道が仕切っていたため、ほとんど発言の機会が巡ってこなかった基佳が手を上げた。
「なんでしょう」
「サッカーって、移籍を経験してようやく一人前みたいなところがあるし、そのために仲介人は、いろいろ想定しておかないといけないことも多くて、経験のない人だと、正直、厳しいと思う」
「想定するにしても限度があります。現状の佐伯君に、そんな先の先まで見据える必要はありません。今は、F.C.さんの一選手として、しっかり地歩を固めるべきでしょう。F.C.さんからお話があったときも、そうだったらしいですが、小早川さんは先走り過ぎです」
ぐっと詰まった基佳を尻目に尋道は続けた。
「サッカー界では遅咲きに分類される大学経由の、フィジカルという明確な宿題持ちが、佐伯君です。いい交渉をしていただかないと、花を咲かせる前に枯れてしまうでしょうね。その点を踏まえれば、相良先生とカラーズの組み合わせは、佐伯君にとってベスト、と断言できます。かつて重工さんのチームだったF.C.さんに、重工さんそのものに縁のあるカラーズと、その顧問弁護士さん、という組み合わせですからね。それに、いざともなればカラーズは黒須カードだって切れるんですよ」
剛柔自在である。カラーズ随一の目端の利く男に掛かっては、基佳も物の数ではない。
「どうなの、佐伯君。黙ってるけど、契約の当事者として、そろそろ、最終的なお返事をくださいな」
さりとて、これ以上、一方的な試合を観覧するのも、いい趣味とはいえまい。逆転の目は皆無なのだ。タオルを投げ入れる潮時だったろう。




