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未知標  作者: 一族
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第二七八話 ひと模様、こころ模様(二三)

 重工体育館の中に入って通路を歩いていると、メインアリーナからボールの跳ねる音が聞こえてきた。のぞいてみると見覚えのある少女がいた。

「おーい」

 孝子の声に、はっとした顔が二人の姿を認めて笑顔に変わった。

「お姉さん! 正村さん! あけましておめでとうございます!」

 黒を基調としたデザインの真新しいジャージーに身を包んだ高遠祥子が走ってきた。この黒は男女の高鷲重工バスケットボール部に共通するチームカラーで、ギャラクシーブラックと称されているものだ。今を去ること二〇年前、黒須貴一が自分の属する航空宇宙事業本部にちなんで、それぞれのチームの愛称とともに制定したのである。

「おめでとう。高遠さん、今日から?」

「いえ。実は去年のうちに。本当は全日本が終わっての入寮だったんですけど。無理を言って選手権の後に、すぐに入れてもらいました」

「善は急げ、だね」

 狭苦しい実家を一分一秒でも早く出たかった、という祥子の事情を、もちろん孝子は知る由もない。

「そうだ。長沢先生にはお祝いの電話を入れたんだけど、肝心の選手には言ってなかったな。国体と選手権、おめでとう」

 麻弥が祝福の声を祥子に掛けた。鶴ヶ丘高校女子バスケットボール部が、秋の国民体育大会と冬の全国高等学校バスケットボール選手権大会を制し、二冠を達成したことは孝子も承知していた。

 しかし、二人の称揚に対して、祥子の歯切れは悪い。二言目には、池田佳世がいなかった、である。そういえば、孝子たちが祝意を伝えた際の顧問の長沢美馬も同じであった。那古野女学院高等学校の絶対的エースは、敬愛する先輩の求めに応じて「中村塾」に参加した。秋の国体と冬の選手権には不在だったのだ。おかげで勝てた、という認識である。

「なかなか難しいね」

「はい……。あの、ところで、お二人は、どうされたんですか。なんだか、服が」

「いや。寒さで足がもつれて、すっ転んじゃって。で、手を差し出してくれた麻弥ちゃんもろとも、地面に、どさー、って」

 だいぶ簡略化したが、間違った説明ではない。

「ちょっとお見苦しいんだけど、取りあえず、体を温めさせてもらおうと思って。カフェに行くところ」

「そうでしたか。あの、おけがは、ありませんでしたか?」

「大丈夫よ。うん。呼び付けちゃって、ごめんね。私たち、行くよ」

「はい。失礼します」

 カフェラウンジに着いた二人は、早速、温かい飲み物に手を出した。孝子は茶、麻弥はコーヒーである。薄汚れた格好で椅子には座れぬ、と立ちっ放しで味わっていると、訪客だった。武藤瞳がカフェラウンジに入ってきた。

「え。本当に、派手に転んだっぽいですね。大丈夫だったんですか? どこか、打ったりとか?」

「ない、ない。あ。須美もん。あけましておめでとう」

 渋い顔の瞳はあいさつを返さず、麻弥のほうを見ている。

「本当に?」

「ああ。本当。高遠に聞いたんだろ? 説明を簡略し過ぎて、誤解させちゃったな」

 舞浜F.C.グラウンドから駐車場までの顛末を麻弥が語ったことで、瞳の懸念も解消したようだった。

「正村さんと斎藤さんは当然として、春谷もん、ちゃんと社長をやってるんですね。あ。遅れました。あけましておめでとうございます」

「はい。で、どういう意味か」

「そのままですよ。でも、本格的なアスリートの事務所って感じになってきてますね。私も入れてもらおうかな」

「LBA、行く?」

「行きたい、と思ってます。市井さんや静の動きを見てると、全然違う。私も向こうでやってみたい。やらなくちゃいけない」

 腕を組んだ瞳は、大きなため息だ。

「これは、おごりでもなんでもなくて、正確な自己分析のつもりなんですが。日本には、脅威を感じる相手がほとんどいないんです。広山さんぐらい。そんなところでいくらやっても強くならない。北崎には勝てない、って思うんです」

「うん」

「日本リーグは外国籍選手を受け入れてません、強い選手とやれる機会が限られていて。強い選手とやれるのはユニバースと世界選手権と、そこにつながる予選ぐらいしかないんです」

「うん」

「お二人は、あの試合、見てます? レザネフォルでやった」

 あの試合とは、昨年の五月にアメリカで強化合宿を張っていた全日本女子バスケットボールチームとレザネフォル・エンジェルスとの間で行われた練習試合のことだった。静の怨敵である中村憲彦率いる全日本チームを粉砕しようと、エンジェルスが猛然と牙をむいた一戦である。

「見たよ。須美もんも、こっぴどくやられてたね」

「でも、いっそすがすがしくもありましたよ。本気のアメリカ、本気のシェリル・クラウスを体験できて」

「須美もんは、LBAに、すぐ行きたいの? それとも、ユニバースで名を売って?」

「ここまでやってきました。今年はユニバースに懸けます」

「わかった」

「おーい、たーちゃん。けがしたって?」

 アリーナに聞き慣れた声たちが入ってきた。神宮寺静、北崎春菜、市井美鈴、池田佳世だ。春菜と佳世は孝子と麻弥の帰省に伴われて、年末年始を鶴ヶ丘で過ごしていた。故の四人同時の登場だ。

「してないって。高遠さん、話を大きくし過ぎでしょう」

 そう言って一歩を踏み出した孝子であったが、目の前の四人の目に真っ先に入ったものは、その薄汚れた衣服だ。再び、麻弥が説明の労を執る羽目となったのも、致し方なかった、といえた。

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