第二七七話 ひと模様、こころ模様(二二)
年が明けて一月一日の早朝だ。舞浜市中区の新舞浜THI総合運動公園内に堂々整備された舞浜F.C.グラウンドでは、舞浜F.C.所属のプロサッカー選手、氷室勝成による新年恒例の「蹴り初め」が行われていた。氷室の他には、彼を慕う後輩が数人、トレーナー、なじみのジャーナリストなど計一〇人が、フィールドでボールを蹴り合っている。
一〇人のうち九人は何年も続けて「蹴り初め」に顔を出す、いわば「チーム氷室」のメンバーだ。一〇人目は今年が初めての参加で、来年以降も、もしかしたら、というU-23サッカー日本代表チームの佐伯達也である。年が改まり、U-22がよわいを重ねてU-23だ。
フィールドの片隅には、孝子に麻弥、みさと、基佳がいて「蹴り初め」を見学している。恋人の舞浜F.C.入りを巡っては、一人、蚊帳の外に置かれ、大いにむくれた基佳の風向きを変えたのは麻弥であった。佐伯の真情などを解説し、大いにかき口説いたとか。放っておけばいい、とほざいた孝子に比べ、カラーズの良心の面目躍如といったところだろう。
カラーズの主力で、唯一、欠席したのは尋道だ。家族で初詣に行く予定があるので遠慮したい、と言っていたが、孝子も倣うべきであった。神宮寺家に、そのような習わしはなかったが、孝子の神宮寺家では創成しよう。何も元旦の朝っぱらに動く必要はない。神社仏閣から人が消えたころ合いで、いいのだ。この手の催しを避ける口実になってくれさえすれば、いいのだ。剣崎と岩城を通じて佐伯の批評を依頼した氷室に、まずは会ってみよう、と「蹴り初め」の招待を受け、紹介者として同行したまではよかった。初日の出を拝んだ後の始動は、午前七時だ。早朝の、吹きさらしの、フィールドが猛烈な寒さであることぐらい、少し考えれば、容易に予想できただろうに。もしかすると尋道は、この事態を読んでいたのではないか。そうだ。あの男が初詣なんぞに行くような玉とは思えない。あの詐欺師が……。寒空の下で歯の根が合わない孝子の思考は混濁しつつあった。
「おーい。生きてるか」
隣に立っている麻弥の声だ。孝子は返事をしたつもりでいたが、麻弥はのぞき込んでくる。声にならなかったらしい。
「大丈夫か……?」
首を横に振った。こちらは通じたようだ。
「斎藤。任せていいか? 孝子が動かない」
「え? 寒くて?」
「そう、らしい。なんか、もう、声が出ないみたい」
「体型的に寒さが骨髄まで届くの早そうだしね。いいよ。ああ。だったら、重工体育館に行ったら?」
好き勝手を言われても、今の孝子に反攻は難しかった。
「重工体育館?」
「『中村塾』にお年始するついでに暖を取らせてもらったらいい。こっちが終わったら合流するんで、待ってて」
「あいよ」
新舞浜THI総合運動公園と高鷲重工本社とは、車なら五分もかからない距離にある。公園を午前七時五〇分に出た孝子と麻弥が重工体育館に到着したのは午前七時五四分だった。普段は車でみっしりと埋まっている駐車場も、さすがに元旦だけあって閑散としている。見渡した限り、静たちはまだのようだ。車が見当たらない。それもそうだろう。「中村塾」の集合は午前九時だったはずだ。
「あっ」
麻弥の叫びだ。五分足らずでは車の暖房も効き切らなかった。体がこわばったままだった孝子は、車を降りる際、サイドシルにつまずいて、車外に転がり落ちたのだ。
「大丈夫か!」
「大丈夫。見て、ぎりぎり浮いてる。助けて」
転がり落ちた際に体が反転したのが幸いした。孝子は四肢を器用にドアとシートに引っ掛け、地上との激突を回避していた。
「私の力じゃ抱え上げるの無理だな……」
自らをクッション代わりにしようというのか、麻弥はアスファルトの上に座り込むと、孝子と地面の間に体を差し入れてくる。
「服、ごめんね」
「いいよ。手、ゆっくり離して」
麻弥に体を受け止めてもらった状態で手を離し、そこから横に滑り出る、という手順で孝子は無事、地上に帰還した。
「ありがと、ありがと」
立ち上がった孝子は麻弥を引き起こした。
「えらい目にあったな」
「本当に」
見つめ合い、苦笑いである。双方、衣服のあちこちが斑紋状にこすれて、見られたものではなかった。本来なら、人前に出るのは慎むべきざまだが、カフェで暖を取るぐらいの間は、大目に見てもらうとしよう。どちらからともなく肩を組んだ孝子と麻弥は、重工体育館に向かって歩きだすのだった。




