第二七五話 ひと模様、こころ模様(二〇)
佐伯達也が緑が丘の島津家を訪ねてきたのは、午後五時になんなんとするころであった。屋内にいたのは、孝子、麻弥、みさとのカラーズ三人娘と基佳、それに、島津シェフの五人だ。尋道は午後三時を過ぎたあたりで、所用がある、と称して離脱していた。
「遅いよ、たっちゃん。もう、連絡はしてこないわ、こっちのも無視するわ」
遅れたのは不可抗力としても、その後のカバーを怠ったのは失態だったろう。基佳の口調が厳しくなるのも、無理はなかった。
「いや。それどころじゃなくて」
「佐伯君。遅れてくれてよかったよ。プロのおじさまに手ほどきしてもらえたし」
遅れに遅れた佐伯の到着を待つうち、手持ち無沙汰となっていた三人娘を見かねた島津シェフが申し出てきたことである。素人なりの自負を持つ孝子以下だったが、プロの腕前は違った。有意義な時間を過ごした三人娘は、ご満悦となっている。
「あ。もしかして、こちらが、うわさの斎藤さん?」
玄関先に勢ぞろいしていた三人娘を見て佐伯が言った。
「おいっす。初めまして。カラーズの斎藤です」
「カラーズさん、すごいな。神宮寺さんに正村さんに、斎藤さん、って。郷本君、うらやましいなあ」
「佐伯君。もっさんに怒られるよ」
「もっちゃんは別格」
「うん? 私たちがもっさん以下だって? 麻弥ちゃん、斎藤さん。こいつ、追い返しちまえ」
三人娘が殺到して、佐伯は屋外に押し出された。基佳は笑い転げている。
「言葉のあやだよ。もう」
しばしの攻防の後、LDKに通された佐伯は口をとがらせている。
「この分じゃ、郷本君も、三人にいびられてるんだろうな」
「それはない。あいつ、弁が立つし、必ず言い返してくる」
「え。意外」
「時に、佐伯のたっちゃんや。さっき、それどころじゃなかった、って言ってたけど。沖縄で、何かあったのかね?」
「そうそう。あったあった」
なんと、佐伯達也、舞浜F.C.のスカウトを受けていた。島津家への到着が遅れたのは、舞浜F.C.との面談のためであった。
「F.C.!? すごい!」
基佳の絶叫の横で、佐伯はなんとも言い難い表情をしている。
「どうするかなあ、って」
「行かないの!?」
「もっさん、うるさい。佐伯君、何か、気の進まない理由が?」
「うん。プロなんて考えたことがなかったんだよね。そんなレベルの選手だと思ってなかったし。実感が湧かない、というか」
「いける、って! たっちゃん、うまいよ! あの奥村君だって認めてるんだし、大丈夫!」
興奮し切った基佳の声は、ひたすら大きい。
「うるさい、って。佐伯君。合宿では、どうだったの?」
「うん。テクニックは、通用した。というか、僕よりうまいのは奥村君しかいなかった。僕、やるじゃん、って思ったもん。でも、フィジカルは、全然、駄目だったね。多分、僕、そこそこ鍛えた中学生よりフィジカル弱いよ」
「鍛えたらいいんだよ! たっちゃん、あんまりウエートとか積極的にやってこなかったけど、これを機に始めたらいい! 私、調べるよ!」
「だって。あとは、もっさんとじっくり話し合ったらいいよ。そうだ。お邪魔だろうし、私たち、そろそろ、引き上げよう」
基佳の喚声にうんざりした孝子は、強引に話を打ち切った。
「待って、待って。神宮寺さん。相談に乗ってよ」
「もっさんがいるでしょう」
「まあ、そう、だね。うん。わかった」
あっさりと引いたようにみえた佐伯だったが、次の瞬間だ。
「じゃあ、僕も、おいとましようかな」
「ええ!」
またぞろの基佳である。
「もっちゃん。今日は勘弁して。冷静にF.C.のこと、考えられるような状態じゃないんだ。あんな、本格的な合宿なんて初めてで、肉体的にも、精神的にも、すごく疲れた。神宮寺さん。僕、亀ヶ淵なんだけど、送ってくれない?」
基佳に送ってもらえ、と言いかけて、孝子は思いとどまった。基佳の目に入らぬ角度で、佐伯は必死に目配せをしている。
「いいよ。ちょうど、鶴ヶ丘にも用があるし。ついで、ついで」
亀ヶ淵は鶴ヶ丘の西隣にある住居地域だ。帰省は明日を予定していて、今日の時点で鶴ヶ丘に用事はなかったし、海の見える丘へ戻るにしても、亀ヶ淵は逆方向となる。ついで、ではないのだが、佐伯の要請に応えるための演技であった。




