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未知標  作者: 一族
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第二七〇話 ひと模様、こころ模様(一五)

 壮行会の会場は、海の見える丘に構える孝子の住まいだ。海浜線の海の見える丘駅が待ち合わせ場所に指定された。駅前のロータリーに車で迎えに行く、視認しやすい場所にいろ、と伝えられ、佐伯は基佳と共に孝子を待つ。

「あれだ」

 車体色とナンバープレートの番号を聞いていたので、すぐに判別できた。二人そろって両手を振ると、ハザードランプを点滅させた青い車が目の前でとまった。

「はい。まずは、乗って」

 あいさつもそこそこにして後部座席に乗り込んだ。ロータリーの信号に引っ掛かったところで、孝子がちらりと後ろを見やってきた。

「久しぶり。もっさん、と佐伯君」

「本当にもっさんって呼ぶし」

「いいじゃない。かわいいよ。ちょっと、おっさん、ぽくて」

「ばかにしてる」

 さも愉快そうに孝子は哄笑している。

「神宮寺さん。車、マニュアルなんだ?」

 孝子の笑いが収まったのを見計らって佐伯は問うた。左手がシフトレバーを操作したのに気付いたのだ。今どき、珍しいものを見た気分だった。

「うん。好きなの、よっと」

 信号が青に変わった。車が動きだす。

「佐伯君は、免許は?」

「一応、限定じゃないやつだけど。もう、忘れてるだろうなあ」

「郷本君は、マニュアルの運転を忘れないように、ペーパードライバーの講習を受けてるんだってよ。見習いなさい」

「え。あの人、そんなこと、やってるの? ……まあ、やりそうかな。いろいろ、細かいんだよね」

「そう。細かい」

「でも、いいね。人がマニュアルの運転してるのをしげしげ見るのは初めてだけど、かっこいい」

「佐伯君も車はマニュアルにしたらいい。マニュアルの会に入れてあげるよ」

「え。そんな会が?」

「ないけど。……見て。この坂」

 孝子がハンドルを切り、車はなだらかな坂に入った。高台にある海の見える丘へと続く坂道だ。

「歩いてきてもらおうかと思ったんだけど、結構、長いんだ。合宿の前に佐伯君が疲労困憊になっちゃ困るしね」

「さすがに大丈夫と思うけど。でも、いい坂だね。トレーニングに使えそう」

 程なく車は孝子の住まいに到着した。庭では麻弥が待っていた。

「おう。久しぶり」

「本当だ! すごいきれいになってる!」

 佐伯は麻弥の元に近づいた。記憶の中の麻弥はベリーショートの、りりしげな少女だったが、目の前にいるのは、ミディアムの一歩手前ぐらいまで髪を伸ばした、たおやかな女性だ。

「なんだよ。いきなり」

「あ。でも、ぶっきらぼうな感じは、変わってないや」

「孝子。追い返せ」

 喧噪の後、四人は屋内に移動した。LDKのダイニングテーブルには、箱膳が四つ、据えられていた。示されるままに二人は着席する。

「まだ壮行会だし。おめでとうは控えるとして、佐伯君の前途を祝して乾杯しよう。お料理に合わせてお茶だけどね。お酒の乾杯は二人のときにでもやって」

 麻弥が並べる湯飲みに、孝子が急須で茶を注いでいく。

 乾杯の後は食事だ。箱膳の中には、にぎり、天ぷら、煮物、焼き物といったあたりが、みっしりと詰まっている。

「うわ。すごい」

「必勝祈願の縁起物尽くしだ。さあ。召し上がれ」

「いただきます!」

 早速、佐伯は箸を取った。

「もっさんは、多かったら佐伯君に食べてもらって」

「う、うん。これ、高そう」

「そんなの、気にするもんじゃないよ」

 食事が始まってしばらくは、佐伯による、うまい、の連呼と、それに応えた孝子が料理の解説を行う時間だった。孝子が手配したのは、行きつけというすしの名店「英」の特上仕出し弁当だ。「必勝祈願の縁起物尽くし」を、由来から店主に聞いていたことで、受け売りが可能となったのだとか。

「それにしても、佐伯君が、こんなすごい人だったとは。ちょっとうまいぐらいだとばかり思ってたんだけど」

「もっと褒めていいよ」

「そうだ。もし、このまま佐伯君が出世していったら、こんな事務所はどう?」

 孝子が差し出してきたのはカラーズ合同会社のCEO、神宮寺孝子の名刺である。

「話してなかったと思うけど、私、社長をやってるんだ。妹がアメリカでバスケットボールのプロになってね。そのマネジメント事務所」

 佐伯は胸中でうなずいていた。実は孝子とは申し合わせができていた。静のこと、カラーズのこと、基佳には関係ないので教えなかったとは、あまりに刺激的な内容だ。穏当な理由を考えてほしい、と要請していたのだ。機会を逃さぬよう、佐伯はすぐさまに反応した。

「知ってる。もっと早くに教えてくれたらよかったのに。鶴ヶ丘の先輩として大いに応援したかったし、できるなら神宮寺さんのお手伝いもしたかったし。手ぐすね引いて待ってたのに。ねえ、もっちゃん」

「う、うん」

 急な展開に基佳の声は上ずっている。

「残念。それはできなかったんだよ。というのも、今のところ、運営が総ボランティアで。これ以上、増やすのは心苦しい。もっさんなら絶対に、お金なんか、って言っただろうしね」

 少し弱い気もするが、いい具合に穏当と思える理由だ。

「えー。それでも、ちょっと水くさくない?」

「カラーズの運営に、私、全く貢献してないの。周りがせっせとやってくれてるだけ。割と惨めなのに、さらに惨めになれって?」

「たっちゃん。神宮寺さんにだって事情があるんだよ」

 二方向からじろりとやられて、佐伯は首をすくめた。内心では、よい感じに空白の時間が埋められてきている様子に、まずは一安心と、安堵しているのであったが。

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