第二六六話 ひと模様、こころ模様(一一)
基佳と佐伯は奥村が運転する軽自動車の後部座席に乗っている。出発してから五分ほどになるが、会話はまだない。車は一路北へと向かっている。
「……あの。そろそろ何か話を、ね? 前に、ちょっと面白くないことがあった二人っていうのは、わかってるんだけど」
「……もうしゃべってもいい?」
「へ……?」
基佳のすっとんきょうな声と同時に佐伯が失笑した。練習試合の終了と同時に、二人の接近の瞬間が迫る、と盛り上がる周りに先駆けたのは基佳だった。後で、後で、と叫んで二人の口を封じたのだ。第三者の耳を気にしての行動だったが、奥村は三人だけになっても言い付けを律儀に守っていたらしい。そういえば車を勧めてきたときも、無言で指し示しただけだった。
「そうそう。もっちゃん、後、後、って言ってたっけ」
「いや、あれは……。もう、いいよ! しゃべっていい!」
「うん。佐伯君。U-22に参加してほしいんだ」
「は……?」
「そうだ。伊央さんのプレーが気に入らない、みたいに言ってたね」
「僕と伊央を比べてるの? それはむちゃだ。ジャンルが違う」
確かに、頑健たる肉体を誇る伊央と、小柄でスピードが武器の佐伯では、同じフォワードでもタイプが違う。
「いや。むちゃじゃない。佐伯君なら大丈夫。あの『10』は下手だ」
「ないね。スケールが違う。どちらか選べ、って話なら一〇〇人の監督が一〇〇人とも伊央を使うよ」
「あの『10』と僕と、どっちを取るか、なら?」
「それは奥村君だよ。次元が違う。でも、今は伊央か僕か、って話だよね?」
「いや。僕が言えば、あの『10』じゃなくて佐伯君になる、って話だ」
基佳と佐伯は顔を見合わせた。
「……奥村君は、いつU-22の監督になったんだい?」
「僕がいなければ立ち行かないチームだ。僕の意志は最優先される」
奥村は言い切った。U-22のみならず、年齢制限のない、いわゆるフル代表でも主力中の主力の彼だ。その言は全く大言ではないのだろうが……。
かんに障ったのだろう。佐伯は眉を逆八の字にして、むっつりと押し黙った。また無言の時間だ。
「……奥村君は、佐伯君のどこをそんなに買ってるの? 正直、比較する相手が伊央さんで、私、すごく驚いてるんだけど」
車内の空気にいたたまれなくなって基佳は口を開いた。
「技術。特にワンタッチのさばきは、僕の知っている中でも一番だと思う。佐伯君の技術があれば、あの『10』は必要ない」
「……そうかな。買いかぶりだと思うけどな」
たたえられて、少し気をよくしたらしい。佐伯が乗ってきた。
「僕のほうが佐伯君をよく知っているみたいだ」
対する佐伯の返しは大笑だ。
「奥村君。意外と面白い人だね」
「そうかな」
「うん。ああ、そういえば、どこに向かってるの? 結構、上のほうに来たけど。もう碧区とかじゃない?」
「言ってなかったかな。うちに。お母さんは料理が上手なんだ。……お昼は、まだだよね?」
「まだだよ。デートでおいしいもの食べる予定だったけど、誰かさんのおかげでぽしゃったしね」
「ああ……。それは申し訳ない。どうしよう。引き返そうか」
「いいの。今は、U-22の話のほうが大事」
「そう言われましても。もっちゃんは、どう思う?」
「どうって……。それは、一サッカーファンとしては、本当にたっちゃんがU-22に選ばれるなら、興奮するし、うれしいけど。でも、奥村君のひいきの引き倒しで選ばれた、ってなると絶対にたたかれるでしょ? それは、嫌だな」
「大丈夫。間違いなくできるから僕は誘ってる。できないなら誘ってない」
「だそうですよ」
「……たっちゃんは、どうなの?」
「そうだね。まあ、せっかくの機会だし、呼んでくれるっていうのなら行ってみてもいいけど。そうだ。奥村君。僕、選抜チームみたいなのに選ばれたこと、一度もないんだけど。準備とか教えてくれるんだろうね」
「もちろんだよ。年末に沖縄で合宿がある。まずは、そこで」
「じゃあ、後は本当に呼ばれての話だね。話半分ぐらいで待ってるよ。お。ここ?」
右折待ちの先はタワーマンションの地下駐車場入り口だった。
「さすが。いいところに住んでるね」
「いや……。田舎だし、賃貸だし、四階だし。四階なんて一番下だよ。タワーマンションに住むなら、やっぱり都会の、高層に住まなきゃ。でも、今の僕じゃ、ここが精いっぱいだった」
そろそろと車を動かしながら、奥村のため息交じりにつぶやいた。言葉尻に漂った暗さに、ちらと基佳が隣を見ると、佐伯も同様に感じたようで、目が合った。といって、今の段階で二人が取り得る行動は一つだけだ。沈黙である。




