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未知標  作者: 一族
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第二五三話 フライ・ハイ、カラーズ(一八)

 海の見える丘は、夕食の時間だ。メニューは魚介をふんだんに使った鍋である。春菜と佳世という大食漢がそろう週末には、やはり鍋が合う。食べ始めるまでに時間がかかるのもいい。待っている間、会話に花が咲く。今夜の話の種は「中村塾」での一幕であった。

「おや。そんな話、昼間はしてなかったじゃないかね」

 孝子の視線の先は、ダイニングテーブルの隣に座る麻弥だ。春菜の報告によって、麻弥め、塾の休憩時間に桜田大学男子バスケ部員の面々から大もてにもてた、ということが発覚したのだ。

「……興味ないだろ」

「うむ」

「ほら。つまらないおしゃべりを、ってにらまれるぐらいだったら言わない。だてに長い付き合いじゃない」

「うむ。でも、わかるな。ここ一年ぐらいで、一気にきれいになったんだよね。磨けば光るのは、わかっていたけど。その意識がどうにも希薄だった」

「もしかして、正村さん、彼氏ですか?」

 つみれをもりもりと食べていた佳世が、箸を止めて身を乗り出す。

「佳世君、覚えてるかな。去年の夏、私たちが那古野に行ったとき。まだ髪が短かったでしょう」

「はい。かっこいいなあ、って思いながら、こっそり見てました」

「あのあたりから伸ばしだしたんだよね。思うところがあったんだよ」

「どんな人ですか?」

「それは本人に聞いて」

「正村さん」

 隣の親友のゆでだこぶりに失笑しながら、孝子は手を上げて佳世を制した。

「恥ずかしがり、って彼氏のほうも気を使うぐらいなんだよね。まあ。あんまり突っつかないであげて」

「はい。じゃあ、お姉さんなら突っついてもいいですか?」

「突っついたところで、何もないよ」

「え」

 と思わず口走ったのが、麻弥の運の尽きだった。

「人がせっかくフォローしてあげたのに、何、その態度は。不義理があったので売る。麻弥ちゃんの彼氏は、お、じ、さ、ま」

 麻弥が盛大に噴き出した。

「え。え。どれくらいおじさまなんですか、正村さん」

「一四、違うんだっけ」

「……うん」

「あ。結構、おじさま。どんな方なんですか?」

「どんな、って……」

 孝子はダイニングテーブルの端に置いてあった麻弥のスマートフォンを指した。電源を入れさせると、ひとしきり操作して、佳世の前に突き出す。

「こんな方じゃ」

 孝子がスマートフォンに表示させたのは、スーツ姿のこわもてが壁にもたれて立っている、モノクロームの画像だ。トリニティによる剣崎龍雅氏の公式サイトである。

「うわっ。かっこいいじゃないですか。サイトがあるってことは有名な方ですか?」

「有名なのかな。私も名前ぐらいは知ってたけど。剣崎龍雅って人」

「え。有名じゃないですか! ミュージシャンの、ですよね!?」

「うん。そう。よかったね、麻弥ちゃん。女子高生に、かっこいい、って言われたよ」

「うるさいな。よし。私も売ってやる」

「売られて困るようなことは、何一つないね」

「本当にか?」

「ないよ。言ってみればいい」

 自信満々の孝子に、麻弥は天を仰いだ。

「お前、ひきょうだぞ」

「何が。本当にないんだって。私に心当たりがないことを、麻弥ちゃんが知ってるなんて、逆に興味ある。言ってみて」

 持って回った言い回しを挑発と解釈したのか。麻弥の表情が改まる。受けて、孝子だ。そっちがその気なら、であった。

「早く言え」

 重低音は、さながら開戦を告げる陣貝の音だ。

「奥村……!」

「……奥村?」

 躍りかかった双方が、今、まさに切っ先で相手を貫かん、としたところで静止した。互いの口ぶりから互いの思惑を察知したのだ。始まらなかったのは、何もなかったに同義、と考えていた孝子と、始まらなかったとはいえ、一つの経験に違いない、と思っていた麻弥との、感覚の齟齬である。

「なんだ。奥村君のことを言ってたのか」

「奥村、って、サッカーの奥村さんですか?」

「そう。私、奥村に取り持ちを頼まれたんだよな。そしたら、即日、断りやがった」

「お姉さん。奥村さんの何が不満だったんですか?」

「あの人には、なんの感情もないよ。アレルギー持ちが人と一緒にいるのは、面倒、ってだけ」

「え。でも、事情を知ってたら、奥村さんだって配慮してくれたんじゃありませんか」

「してくれなくていいし、そもそも、されたくないんだよ。おはるにはわからないだろうね。生まれてこの方、周りの人に配慮されてばかりだった人間の屈託は。わからないことには首を突っ込まないほうがいいよ」

「……池田。来週の話、もう一度、しておこうか」

 なんの脈絡もない麻弥のせりふは、再びの戦雲を防ぐためだろう。来週の話とは、間近となった佳世の推薦入試のことである。……とはいえ、気を回し過ぎかもしれなかった。孝子の先駆けで春菜は致命傷を負った様子だ。たとえ、戦意が残っていたとしても、追い打ちの用意は抜かりなく調えてある。孝子の勝ちは動かない。

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